被後見人の選挙権回復訴訟 |
〜被後見人の選挙権を奪う公職選挙法第11条第1項第1号の違憲性を争う〜 | |
弁護士 杉浦ひとみ(後見選挙権訴訟弁護団) | |
1 本件訴訟の概要 本件は、 成年後見制度を利用して被後見人となったことから選挙権を奪われた女性が、公職選挙法第11条第1項第1号は選挙権を侵害するものであり憲法違反であるから、選挙権の存在を確認せよと、2011年2月1日、東京地方裁判所に裁判を起こしたものである。 原告となったのは、1962年生まれのダウン症の女性で平成9年に療育手帳の等級Bの認定を受けている。後見人である女性の父親は、障がいを持つ人の人権問題に永年真剣に取り組んできた方で、当事者の自立と尊重を図る制度として制定された成年後見制度の趣旨を信頼して、娘の成年後見を申し立てた。それは、将来の娘の財産の管理を案じたからであった。これにより、平成19年2月17日に、家庭裁判所の審判で後見開始となったところ、その後選挙はがきが来なくなった。これまで女性は成人以来、欠かさず両親と共に選挙に行き、選挙公報を見ながら投票を行っていた。選挙に行けなくなってからは、選挙になると投票に行く両親を見送るしかなく、原告の女性は、「選挙にいけなくなってつまらない。もう一度選挙に行きたい。」と訴えている。
2 なぜこれまでこの問題が争われなかったのか 今回の裁判は、被後見人の選挙権を争う初めての裁判である。被後見人の選挙権剥奪は、「憲法違反だ」という声は、成年後見制度が始まった2000年のころからすでに、専門家や障がい問題に取り組む市民の間では起こっていた。なぜ、ここまで放置されてきたのかが不思議なくらいである。 それは、ひとつには、現行の裁判制度が、具体的紛争の存在を前提にしており、「法律自体が憲法に違反している」と第三者が争うことはできない(付随的審査制)仕組みになっているために、現実に被後見人となって選挙権を奪われ、その不合理性を裁判で争うおうと考える人がいなければ裁判が起こせないからである。ところが、当事者はもともと声をあげる力の弱い方たちである。加えて、マイノリティ−であって社会的テーマになりにくい一方、能力の低さについて公表しながら裁判を戦うことの精神的、経済的負担は非常に大きいことから、諦められていたことがあるように思われる。しかし、実は、法律家や学者が、障がいある人の選挙権について、当事者の立場に立って真剣に考えてこなかったことがその大きな一因であったと、今は自省を込めて考えている。 原告の父親は言う。「これまでの人生で、娘には何度も障がいゆえに差別的な扱いを我慢させてきてしまった。就学猶予という体のいい義務教育の提供拒否。その後親元から離れた養護学校でのさみしい宿舎生活。就職先での事実上の障がい者解雇など。ところが、今回、自分が成年後見を申し立てたために娘の選挙権まで奪い、主権者でなくさせてしまった。このままでは死ぬに死にきれない。」慚愧(ざんき)の思いで相談を持ってこられた意を受けて提訴に踏み切った。 その後多くの弁護士や学者がこの問題に取り組み、現在障害者の選挙権について、これまでの(能力がなければ選挙権は認めないという)説を改める学者が何人も現れてきている。 3 本訴訟の問題点 本件訴訟では、大きく二つの点が争点となる。一つは、選挙権を能力によって制限することが許されるのか、という点。もう一つは、仮に選挙に能力が必要として、成年被後見人となったことをもって選挙権剥奪の基準にすることが相当か(成年後見制度と選挙資格を連動させることの合理性)という点である。 (1)選挙権を能力によって制限することは許されない。 ア 原告としては、最も重要な論点として本訴訟で明らかにしたい争点である。 【憲法による保障】選挙権は、民主性の根幹に関わる主権者としての重要な権利である。 憲法は「成年による選挙」という年齢での区別を設けているだけである(15条3項)。 これは、憲法が、選挙権の行使主体を、能力のあるなしを根拠に、多数者で構成する立法府が選別すべきではないと考えていると理解することができる。 【条約による保障】国際的にも重要なものとして位置づけられ、わが国も批准している 「市民的及び政治的権利に関する国際規約」いわゆる自由権規約25条は、差別も不合理な制限もなく、「普通かつ平等の選挙権に基づき」投票する権利を保障している。【障害者権利条約】また、日本政府が批准はしていないものの、署名までしている障害者権利条約も障害のある人の選挙権の存在を前提としている【29条】。 イ 選挙権の制限を認める場合として判例が示す基準にも当たらない。 在外日本人の選挙権についての平成17年大法廷判決は「国民の選挙権又はその行使を制限することは原則として許されない。制限するためには、そのような制限をすることがやむを得ないと認められる事由がなければならない。選挙権を制限しないと選挙の公正を確保しつつ選挙権の行使を認めることが事実上不能ないし著しく困難であると認められる場合でない限り、上記のやむを得ない事由があるとはいえない」 はたして、判断能力が低いものが行った投票が選挙の公正を害するといえるのであろうか。 ウ 被後見人にこそ選挙権を認める意義がある。 知的障がいのある者などには、選挙権を認める必要性が極めて高い。なぜなら、被後見人となる者こそ、社会権の受益だけでなく、自らの力で自由権の行使さえも十分できない場合もあるわけで、国などの施策を必要とする者である。選挙によって国政にその需要を届ける必要は、極めて高いといわなければならない。 (2)成年後見制度に連動して選挙権を制限する不合理 本来、能力による選挙権の制限は認められないと考えることはすでに述べたとおりである。しかし、仮に、能力によって制限を考えなければいけないとしても、成年後見制度と連動させることは誤りである。@現実の成年後見制度の審理において選挙の能力は問題とされない。A成年後見の申立ての有無により同じ能力の者が、選挙権に差を生じる不平等は深刻である。B成年後見制度は、権利擁護のための制度であり、自己決定を尊重する制度である。にもかかわらず、権利を擁護しようとすると選挙権を奪われるということは背理である。 以上のような観点から、成年後見制度に選挙権制限を連動させることは、おおよそ認められるものではない。 4 裁判の現状 (1)裁判の状況 この成年被後見人の選挙権を争う裁判は、現在東京のほか、埼玉、札幌、京都の全国4か所で起こされており、それぞれの弁護団は連携をとり一緒に研究しながら進めている。先陣となった東京の裁判は、2012年4月の法廷で「双方の主張も出そろい終盤にさしかかっている」という裁判長の認識が明らかにされた。 7月19日の裁判では、被告国側の論理の不明瞭な主張については、裁判長は取り合わず(と感じた)、「原告側では、憲法論を含めた主張の集大成を示すように」と指示された。 (2)学者らの協力 このように、本訴訟は選挙権にかかわる重要な、しかもこれまで論じられてこなかった憲法論を展開することとなる。 この訴訟を起こして、何人もの学者から賛同の声があげられている。東京新聞(平成23年2月9日朝刊)では「十分な意思形成ができない人を排除する方が、選挙の公正を歪めるのではないか」(戸波江二早稲田大学教授)また、自己決定の尊重という理念の下につくられた成年後見制度に、禁治産制度のころの選挙権剥奪規定が残ったことについて「立法上の明らかなミス」「高齢社会で制度活用が期待される今こそ、司法は違憲判断をし、政府も法改正に動くべきだ」(高見勝利上智大学教授)とコメントし、その後「成年被後見人たることの一事を以て、個別の投票能力を判断することもなく一律全面的に選挙権を奪ってしまう公選法規は、違憲との譏りを免れないであろう」(有斐閣「憲法T第5版」542頁)と従前の説を改説されている。この問題に以前から取り組んでこられた竹中勲同志社大学教授は、当初より様々なコメントを下さっている。 また、選挙権に能力が必要とされているかについては、諸外国はどのように扱っているか、ということを裁判所の大きな関心事である。ちょうど同じこの視点で、海外の調査研究を進めている田山輝明早稲田大学教授にであい、その研究成果を裁判に利用させていただきたいとお願いしたところ、役立ててもらいたいと思っていたという非常にうれしいご回答をいただけた。 (3)次回10月26日の裁判を目指して 原告弁護団は、障がいある人や成年後見を利用する人にも選挙権が保障されるために、この裁判で訴えたいことを集中して書面作成にとりかかることになる。 |
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------- 初出 「障害者欠格条項をなくす会ニュースレター」54号 2012年7月発行 |
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