グライダーパイロット免許取得ツアー in ハワイ


その1
〜操縦訓練開始からソロフライトまでの道のり〜
吉田大作(養護学校教諭)
グライダーの写真 みなさんは、グライダーをご存知ですか?グライダーと言われると、ハンググライダーやパラグライダーなどが日本ではよく知られていると思いますが、私が免許取得にのり出したのは「グライダー」いわゆる、エンジンの無い飛行機です。グライダーには座席があり操縦桿、飛行に必要な計器などがついています。それらをコックピットに座り操作(操縦)をします。エンジンが無いので離陸には、セスナのような曳航機にロープで引っ張ってもらい、離陸、上昇をします。ある程度の高度まで上昇したら曳航機とのロープを切り離し、グライダーのみで飛行します。当然、エンジンが無いわけですから、落ちながら飛んでいくわけです。しかし、急に高度が落ちることはありません。ゆっくり高度が下がっていきます。しかし、空にはいろいろな気流が存在し、上昇気流という言葉はみなさんも聞いたことがあると思いますが、この、上昇気流にのれば、エンジンが無いグライダーでも高度がぐんぐん上がっていきます。高度があがっただけ、また、フライトを続けることができるのです。
グライダー内装の写真 私は、グライダーの免許を取るためにハワイ(オアフ島)の飛行場に行っています。なぜ、ハワイで免許なのか・・・は、これからお話させていただこうと思いますが、ハワイの空はとてもきれいです!私が飛んでいる飛行場はディリングハム飛行場と言います。オアフ島の北に位置します。滑走路の北側は海、南側は山、空から眺める景色は最高です。時には、海に鯨を見ることもできます。
 今回は、そんなグライダー免許取得ツアーのお話を、私のハンディキャップなどのお話を交えながらさせていただきたいと思います。
 私は、昭和49年の12月に愛知県名古屋市に生まれました。健康な3500グラムの大きな赤ん坊だったそうです。しかし、その1年半後、両親が私の右目に異常を発見、病院へ行くと、網膜芽細胞腫(もうまくがさいぼうしゅ)という病気であることがわかりました。いわゆる、目の癌です。すぐに右目の摘出手術を受け、私は、生涯、片目で暮らすこととなったのです。しかも、再発の危険が高く、30歳まで生きれる確率は5%という、ほぼ、絶望的な状況でした。と言っても私に当時の記憶はありませんが。しかしながら、現在34歳、右目義眼で元気に生きています!私は1歳半という物心つく前に片目を失ったため、両目で見える世界を知りません。両目の見える人が片目を閉じると、階段を下りるのすら怖い、などと聞いたことがありますが、私は今まで、片目が見えないことで不自由を感じたことはありません。ただ、不自由を感じたこと、それは、視覚的なことではなく、規制的なこと。それは、私が就職を考えるころ、辛い現実として自分に襲いかかってきました。私の父は警察官をしており、私も人の命や安全を守る仕事に将来就きたいと思っていたのですが、片目が見えないため、警察官、消防官、自衛官、海上保安官などすべて不合格でした。また、運転免許についても、2種免許はすべて不可、1種でも大型免許は取れません。なんで、ここまで区別をうけるのか???現実をなかなか受け入れることができませんでした。しかも、自分は障害者手帳もないのに、海上保安庁にからは「海上保安庁には、障害者を受け入れる枠がない。」と回答してきました。強い怒りを感じました。そして、たどりついたのが現在の仕事。私の経験が少しでも役に立てばと思い、今の仕事をしています。
グライダー(上空)からの写真 そんな仕事をしている中、友人と海外旅行へ行くことがあり、その際、グライダーの体験操縦をし、空の魅力の虜となりました。日本に帰国してさっそく日本の航空免許について調べてみると・・・嫌な予感はしていましたが、問答無用で片目が見えない者はアウト!!!航空機の免許を取るには、まず第1段階として操縦練習許可証というものを国土交通省から発行してもらわなければなりません。それには、航空身体検査というものに合格しなくてはならないのですが、私は、その航空身体検査に不合格、ショックでした。しかし、あきらめきれず、国土交通大臣に審査を依頼する制度があることを知り、国土交通大臣に申請をしました。しかし、やはり不合格。理由は一言、「右目義眼のため」でした。その時感じたのは、なぜ?私の実際の様子も見てもいないのに、書類上だけで不合格にするのか???強くそう思いました。操縦練習の場合、一人で飛ぶのではなく、教官と同乗し飛行に必要な技能の教育を受けるのですが、それすら認めない日本という国の現実にとても落ち込みました。しかし、あきらめの悪い私は、日本がだめなら今度はアメリカだ!と思いアメリカ連邦航空局に問い合わせをしてみました。すると、回答は、操縦練習許可証(アメリカではスチューデントパイロットライセンスと言います)は特に問題なく発行されるとのことでした。この時は、本当にうれしい気持ちでいっぱいになりました。でも、アメリカか・・・英語はほとんどしゃべれないし・・・と思いながらも、いざ、出陣!!!ネットで検索すると、グライダーに乗れる一番近いアメリカはハワイでした。しかも、そこには日本人の教官がいることを知りさっそくメールをすると、しっかり、指導をしてくれるとのことでした。そして、ハワイへ旅立ったというわけです。
 ハワイの飛行訓練へは、2008年の夏に約1週間、冬に1週間行きましたが、現在のところ、免許取得には至っていません。しかしながら、ソロフライト(一人で飛ぶ)の許可と筆記試験(もちろん英語)に合格したことは、大きな前進です。初ソロフライトには本当に感動しました!日本では絶対できないことをやり遂げることができた感動はとても大きいものでした。心の中で「片目でもできるんだぞー!!!」と叫んでいました。後は、実技試験と口述試験合格で免許取得です。まだまだ、道のりは長いですが免許取得に向け勉強していきたいです。
グライダーの写真 飛行訓練には、いろいろな飛び方の訓練があります。そんなに簡単ではありません。教官は厳しくしっかりと指導をしてくれます。私は、片目が見えないことで不自由を感じたことがないと前述しましたが、飛行訓練においても片目が見えないことで不自由はまったく感じませんし恐怖心もありません。教官からも片目が見えないことで気をつけるように言われたことは、「右側をよく見ること」これだけでした。着陸も遠近感は大丈夫なのか?と疑問に思われる人もいらっしゃるかと思いますが、全然、問題ありません。しっかり、着陸の進入角度を風の強さなどから考えて調整しながら着陸させることができます。片目でもできるのです!!!
 私の最終的な目標としては、ハワイでの飛行経験を積んで、日本の国土交通大臣に、再度、日本で飛ぶことができるよう嘆願することです。やはり、私の生まれ育った国、日本の空も飛びたい。もう一つの目標は、片目でもいろいろなことができるということを世の中の人に知ってもらいたいということ。今の日本は、片目の人間に対して規制が多すぎる。世の中が思っているほど、片目の人は不自由じゃない、だから、障害者手帳も出ないんでしょ?
 まだまだ、長い長い戦いになるかもしれないですが、私は、私のできることを一つ一つやっていこうと思っています。
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初出 「障害者欠格条項をなくす会ニュースレター」44号 2009年3月発行


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