エッセイ |
エッセイ2 |
欠格条項/陳腐な制度上の差別 |
松友 了(まつとも・りょう) (福)全日本手をつなぐ育成会 常務理事 |
「ノーマライゼーション」という考えが、デンマークの国家公務員、バンク・ミケルセンによって提唱されて、40年近い歳月がすぎました。この日本語訳がむつかしくて、カタカナのままに使われていますが、あえて当てはめると「あたりまえ」ということでしょうか。 世の中には、「あたりまえ」でありながらそうなっていない、いやそのことに気付いてさえいないことが沢山あります。障害のある人の課題は、障害者本人が決めるのだ(自己決定)ということも、まだあたりまえのこととして徹底しているとはいえません。とくに知的障害の分野では、「そんなこと出来る訳がない」として、専門家や親(家族)が決めつけているのが現状です。それを打ち破る動きが、いわゆる「本人活動」といわれているものであり、全日本育成会では、国際育成会連盟の動きに学びながら力を入れています。その援助の意味もあり、本人向けの新聞「ステージ」を数年前から定期的に発行しています。 最新版の「ステージ」の特集は、『資格を取ろう!』というものでした。そして、その資格の中に、自動車運転免許を取った人の例が、本名と顔写真入りで登場しているのです。え!運転免許って、知的障害者は取れなかったのでは、と驚かれる人もいるかも知れません。法律では、絶対的欠格条項のハズだ、と思われる方も多いでしょう。じつは、法的には、そうなんです。では、全日本育成会は違法行為を紹介しているのでしょうか。 じつは、総理府で開かれた関係省庁と関係団体の意見交換会の席上で、警察庁の幹部の方が、「実質上は、相対的欠格として扱うよう都道府県の関係機関へ指導している」と明言されたのです。私は、何度も念を押して確かめました。そして、確認を取ったのです。だから、『特集』に載せたのです。 実際、運転免許を取っている知的障害のある人は増えています。この不況の中で解雇された人が、この機会にとプラス思考でチャレンジしてる例もあります。そして、試験をパスしているのです。実技はほとんどが1回でパスしています。難関は筆記試験です。すなわち、知的障害について大きな「バリアー」となっているのです。それでも何度もチャレンジし、クリアーしています。 「欠格条項」とは何でしょうか。免許や資格とは、ある種の技能を確認し、公に許可することではないでしょうか。そうしたら、技能がクリアーできた人が、なぜ「欠格」になるのでしょうか。それは、免許や資格に関係ないことを理由に、すなわち別の理由をスティグマ(刻印)として、参加から排除することではないでしょうか。まさに、国際障害者年の時に示された3つのバリアーのうちの、制度(法)によるバリアーの最たるものであり、正真正銘の差別であります。それがなぜ、今日まで生き延びてきたのか。不思議です。 しかし、現実はその「あたりまえ」であることを、本人自身の行動によって明らかにし、変えようとしている。この現実の前では、旧い制度(法)はシーラカンスのように陳腐であります。もう、オカシイたらありゃしない。と、半ば同情しながら、文化遅滞としての社会のズレを眺めるのです。 だけど、本質は違うのでしょうね。障害者をあたかも危険な存在のごとく位置づけ、スケープゴートとして、社会の平和(安全)幻想を作り、国民に示していたのではないでしょうか。その点は、反省を込めて明らかにすべきではないでしょうか。それも、「あたりまえ」の事実ではないでしょうか。ノーマライゼーションとは、そういうことだと私は考えるのです。 |
------- 初出 「障害者欠格条項をなくす会ニュースレター」3号 1999年10月発行 |
|
戻る |