エッセイ どんなふうにやってきたの−合理的配慮をもとめる現場から


その4
大学での講義保障活動から自立生活センターへ
山本美穂子(やまもと・みほこ)
(八王子聴覚・視覚障害者サポートセンター)
はじめに
 きこえない私が大学に入って初めて受けた講義。大講堂の教壇で先生がマイクを持ち、淡々と話している。先生を囲むよう座り、熱心にノートをとっている大勢の学生たち。
 高校時代までの先生と生徒の距離とはちがい、先生と生徒の距離が離れすぎている。教科書もない。マイクを通しての声も聞こえない。先生の口元も見えない。大学入学とともに上京した私には、まわりにノートを見せてくれそうな友達もいない。なにを話しているのかも分からずただ座るしかなかった90分。
 そして、講義の最後に小さな白紙が配られた。唯一、壇上のホワイトボードに書かれた内容は「講義に対するコメント・学生番号・名前の記入をもって出席とする」。白紙の紙を提出することもできず退室した18歳の私。
 私は、このことがきっかけになって、大学での講義保障活動(聞こえないものも、大学の講義をリアルタイムに“聞く”ために、手話通訳等の派遣を認めてもらう運動)を始めることになった。活動のなかでは、ノートテイカー(聴覚障害者の隣で、PCや紙を使って、音声情報を文字情報にして伝える人)集めや先生への陳情、大学学長への交渉と、多くのことをやってきた。そして、そのなかで、多くの言葉に傷つけられた。理不尽なことを言われたとき、言い返すことは誰にでも許されていることだ。しかし、言い返しても大丈夫だという保障がないところでは言い返すこともできない。そうした残ってしまった怒りやつらい気持ちはいつまでも消えない。
 この気持ちが、今の私の活動の原点になっている。

自立生活センターとの出会い
 大学での講義保障運動に関わってくれていた先輩が、自立生活センター・ヒューマンケア協会に勤めることになった。その先輩が、自立生活センターのこと、ヒューマンケア協会のこと、自立生活の考え方を紹介してくれた。それがきっかけで、私も、ヒューマンケア協会で1ヶ月ほどの研修を受けさせて頂いた。
 恥ずかしながら、当時の私は、同じ障害者手帳を持っていながら、心のどこかで「私は身体が自由に動くだけいいのかもしれない」、「きこえない自分だってひとり暮らしは不便が多いのに、自分より動けない重度の人がひとり暮らしなんて無理よね」という差別、比較があったように思う。
 ところが、実際には研修の中で、重度障害のある方が介助者に、「何時に戻ってきて」と指示を出したり、「私がしてほしいことはこうではない、こうだ」注意したりしているのを目のあたりにして、私は本当に驚いた。そして、私もその人達のように、ノートテイカーや通訳者に言いたいことを言えたら…とうらやましかった。
 また、研修では、脳性まひの方でトーキングエイドを使っている人が、他のスタッフの話を一文字一文字入力して通訳してくれたり、全身性障害のある方が、唯一コミュニケーションがとれる口話を使って状況を知らせてくれたりもした。自分より重度と思い込んでいた人からサポートを受けるという経験をしたことで、私の今までの差別感は打ち砕かれた。そして、「障害があってもできる人がやれることをすれば、お互いの支えになれるのだ」という対等感と、自分に対する強い自信もできていった。
 そしてなにより、違う障害であっても、当時自分が行っていた講義保障運動と、自立生活運動の類似点が多く、そこから学ぶことが多かった。
 もちろん、講義保障運動の中で、きこえない仲間との出会いも多かった。しかし、当時は若さのせいか、「ろう者としてのアイデンティティとは何か?」といった話題になりやすく、アイデンティティの有無が「難聴者」か「ろう者」という、聴覚障害者の分断につながってしまうことも多々あった。私は、講義保障活動のなかで、同じ障害なのにどうして分けられなければならないのか疑問だった。そして、こうした疑問が、講義保障活動で疲弊した心を、さらに悩みの淵に引きずり込んでいった。そんななかで、次第に自立生活センターで活動している重度の障害のある仲間達との語らいが心のビタミン剤となり、安定剤となり、支えとなっていった。
 自立生活センターでの障害者の仲間達との出会いと衝撃が、現在の「聴覚障害者にも自立生活運動の理念を伝えたい、ピア・カウンセリングを知ってもらいたい」という活動につながっている。

聴覚障害者にとっての自立とはなにか
 自立生活センターは、周囲から見ると、「重度障害者が地域で自立した生活ができるように支援するところ」であり、そのために「ヘルパーなどの派遣を行っているところ」、そして、「車いすの障害者がスタッフになって、同じ車いすの障害者の支援をしているところ」というイメージが強いように思う。確かにそのとおりである。
 しかし、忘れてはならないのは「なぜ、障害のある自分たちが施設ではなく地域での生活を選んだのか」、「なぜ、障害のある自分たちが、同じ障害者のためにサービスを有償で提供するのか」という問いである。
 ここで、自立とは・自立生活とはなにかについて書かれた、リハビリテーションギャゼットという、自立生活運動が始まった1960年代の雑誌からの文章を引用したい。
 「自立とは、どこに住むか、いかに住むか、どうやって自分の生活をまかなうか、を選択する自由をいう。それは自分で選んだ地域で生活することであり、ルームメイトを持つか一人暮らしをするか自分で決めることであり、自分の生活、日々の暮らし、食べ物、娯楽、趣味、家事、友人等々、すべてを自分の決断と責任でやっていくことであり、危険を冒したり、過ちを犯す自由であり、自立した生活によって、自立生活を学ぶ自由でもある。」
 聴覚障害者は、確かにADL(日常生活動作:Activity of Daily Living)の視点からみたときに支障がないから、この文章を一見しただけでは、自立しているといえるかもしれない。しかし、この文章が言いたいことは、いかなる障害があっても、誰でも自分がしたい生活を選ぶ自由、自分がしたい行動を決める自由、結果から学ぶ自由を持っているということであり、その自由を守ることができるのは自分しかいないということだ。
 聴覚障害のある私たちに置き換えれば、「音情報」と「人と人とのコミュニケーション」という2つの面から自立の考え方を適用することができる。
  • どこにどんな情報があるかを知る自由、そこからどのような情報を選ぶのかの自由、情報に翻弄される自由もある。日々流れている情報をすべて自分の決断と責任で取捨選択していく自由。
  • ご近所づきあい、会社でのひとづきあいを含め、自分が誰と話したいか、どんな話をしたいか、その内容をどのような方法で伝えてもらうか、知らない人とコミュニケーションをとる自由もあれば、井戸端会議に飛び込んでいき、受け入れてもらう自由もある。
 今の社会でどれだけこのような自由が、私たちに保障されているだろうか。
 人と人とのコミュニケーションにおいては、分かるように教えてくれる人はいても、自分がとりたい方法(手話・筆談など)で誰とでも自由に話ができるわけではない。特に、地域のイベントや会社の行事など、不特定多数の人たちが集まる場にすんなり入っていくことは困難である。
 制度上では、手話通訳者・要約筆記者の派遣が行われているが、必要な場面にすぐ来てもらえるのか、来て欲しい通訳者に来てもらえるのか、誰が来ても安定した通訳をしてもらえるのかというとそうではない。残念ながら、行政側・派遣側が決めた約束ごとに従わなければならないのが現状だ。
 手話通訳・要約筆記者に対しても、堂々と自分の要求を、誠実に伝えることは難しい。例えば、通訳技術のことだけでなく、マナーのことまで踏み込んで伝えるには勇気がいる。(例えば、本人抜きに通訳者と発言者で話し合いが始まってしまうなど)多少のことは我慢して通訳者主体の通訳を許しているのが現状かもしれない。
 確かに、徐々に環境は改善されているのかもしれない。きこえない私たちにとっては、文句は言えない程度に自由は保障された。しかし、私は、本当に自分がして欲しい情報保障の自由はない…という状況ではないかと思っている。
 自立生活センターで働いている中で、私は常に「障害種別が違っても必要な介助は必ずつける。そのために、自分のニーズを明確にせよ」と問われてきた。
 ヒューマンケア協会では、市民向けの講座には、申込み不要の講座であっても、予算が厳しくても、手話通訳・要約筆記の両方をつけることにしている。それが私たち聴覚障害者にとって「聞きたい講座に参加する自由」を保障することになるからだ。
 障害者にとっての自立を守ることは、どの障害であっても並大抵ではない。しかし、自立を保障することによって、次に生まれてくるのは「自分も、同じ障害者のために、できることはなにかを考えたい」というエンパワメントだと思っている。

地域で生活する聴覚障害者のために自立生活センターで行っていること
 私たち自立生活センターでは、聴覚障害者対象のピア・カウンセリング講座、自立生活プログラム、権利擁護の相談なども受けている。これらのサービスは、聴覚障害者のための当事者団体が提供している会員や会費制による固定したサービスとは違い、誰もが自由に、必要なときに受けることができる。会員ではないからサービスを受けることができないということはなく、まずサービスありきなのである。
 例えば、同じ障害者どうしで行う精神的サポートでもあるピア・カウンセリングには、もともと重度障害のある先輩方が長年培ってきたノウハウがたくさんつまっている。このノウハウを聴覚障害者に伝えるために、聴覚障害者によくあるシーンや状況をたくさん取り入れたり、手話のみの講座を行ったりしている。
 そしてなにより、障害者といっても、その種別は様々であり、異なる障害種別のある人どうし、同じ障害種別どうし、話を充分に聞きあうことによって自分の生き方・とらえ方が広がり、あらためて自分の気持ちを振り返り、エンパワメントされる部分が大きい。
 残念ながら、長年の福祉政策の中では、障害種別による縦割りサービスが多く、聴覚障害者は聴覚障害者の団体、視覚障害者は視覚障害者の団体、車いす利用者は脊髄損傷か頸椎損傷かでそれぞれの団体…などと、固定されたグループに分けられてしまっていた。障害種別を超えた(cross-disability)関わり合いをもち、それがサービスとして運営に反映できるのは、自立生活センター以外には今のところない。
 これからは、国連の障害者権利条約などの影響で、障害種別を超えて連携する、あるいはせざるを得ない場面も多くなるだろう。お互いの障害やニーズを学び合い、他の障害種別の仲間達が地域で本当に自立して生きるということについて、考えるきっかけとなればうれしいと思う。

以上
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*八王子聴覚・視覚障害者サポートセンター
〒192-0046 東京都八王子市明神町4-14-1 パシフィックリビュー八王子
TEL:042-646-4740 FAX:042-646-4740
E-mail:choukakushikaku2005@yahoo.co.jp

初出 「障害者欠格条項をなくす会ニュースレター」45号 2009年7月発行


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