エッセイ |
エッセイ1 |
障害者欠格条項に思う |
安積遊歩(あさか・ゆうほ) |
人間の可能性には限界がないということを43年生きてきてつくづく思い、だからこそ自分の娘が生まれたときには名前を「宇宙」とした。呼び名は「うみ」だ。30年ぐらい前に優生保護法の存在を知り、障害を持つ人の命は、法律からして生まれない方がいいとされているのかと愕然とした。だからこそ、そのことに怒りを持って立ち上がり、ついにはエジプトで行なわれた人口と開発世界会議で、世界中にその差別性を訴えることまでした。数々の仲間達の活動と、私の怒り、悲しみが実を結び、1996年には優生保護法の優性思想部分は削除された。同じ年の5月に、私は冒頭の名前を付けた、私と同じ障害を持つ娘を産んだ。ただただどんな可能性もあると信じて、彼女のそばにいる。 彼女は私と同じように骨が折れやすいので、可能性の一つは、いつ骨折が起こるかもしれないという点だ。そして可能性の二つ目は、毎日山ほど表現される愛情の数々だ。私は今まで、頭の中では子どもは大人たちの言葉を聞いて育つのだから、大人たちが表現していることが子どもにとっては非常に大きな影響力を持つということを知っていた。しかし宇宙が生まれてその実践が即、現実に見えるものとなり、その可能性のすさまじさに心打たれる毎日だ。「大好きだよ」とか、「生まれてきてくれてありがとう」とか、言葉を話さないときからずっと聞き続けてきた彼女が、言葉を話すようになって言ってくれるのは、同じく「ありがとう」や「大好きだよ」なのだ。彼女が知っていることは、自分が心から歓迎され、愛されて生まれてきたということだ。 障害を持つ人が知るべきことはそのことであって、自分に何ができなくてこれがダメということは、他から押しつけられるべきことでは全くない。ましてや法律で障害者の可能性に満ちた人生を規制していることは、差別と抑圧以外の何ものでもない。もしこの国に人権意識があるのだとしたら、これらの条項の数々はそれほどの時間を待たなくても変えられて行くに違いない。しかしもし、人権意識がそれこそ欠格していたとしたら…。それでもどんなに時間がかかっても、闘いは諦めることなく闘われて行くに違いない。娘のあどけない笑顔の中に、諦めることなく立ち上がろうというメッセージが見える。 |
------- 初出 「障害者欠格条項をなくす会ニュースレター」2号 1999年8月発行 |
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