「運転免許の処分基準等の見直し素案」に対する意見


2001年9月28日
警察庁交通局運転免許課
課長 田村正博 殿

障害者欠格条項をなくす会(代表 牧口一二・大熊由紀子)
事務局 〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台3-2-11
DPI障害者権利擁護センター気付
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「運転免許の処分基準等の見直し素案」に対する意見
 『「運転免許の処分基準等の見直し素案」に対する意見の募集について』への当会の意見を述べます。
 今回の「運転免許の処分基準等の見直し素案(以下、素案)」は、旧総理府の障害者施策推進本部が決定した「障害者に係る欠格条項の見直しについて(平成11年8月9日)」にある、「障害者が社会活動に参加することを不当に阻む要因とならないよう」にとした方針に逆行し、むしろ障害者の生活権・交通権をおびやかすものと言わなければなりません。
 従って、政省令の見直しを、障害者、病者の当事者団体の意見を改めてよく聞き行うべきです。政令素案で新たに検討事項とされた「免許申請書等への病状等の記載の義務付け」は、削除を求めます。
 以下に理由を述べます。

1)その人自身が安全運転できるか個人評価を柱に
 運転免許の交付は、本来、障害や病気に関係なく、その人自身が安全運転できるのかを運転免許試験で評価するべきです。障害や病気がない人にも、運転に不向きな人、危険な運転をする人は存在し、個人の適性の問題です。ところが、素案は、様々な病名などをあげて、運転免許を厳しく制限しています。こうした姿勢では、障害や病気を一括りにした差別偏見の束縛を免れることはできません。また、悪質な違反行為への重罰化と、障害や病気がある人への免許許可条件とは、それぞれ別個に検討すべき問題です。

2)これでは「絶対的欠格」になる
 別紙2の2(1)@の備考にある「この結果、これまでは、精神分裂病にかかっている者については、一律に免許を受けることができないこととされていましたが、アの者については、免許を受けることができることとなります。」というような表現がいくらか見られ、一定の者については運転免許取得の道が一見、広がったように見えます。しかし、内実は現行法よりも免許を取得できる者が限られる可能性があります。
 なぜなら、絶対的欠格である現行法の下では、精神障害などの場合でも黙認されたり、やむなく隠したりして免許を取得してきた人が多数いました。「道路交通法の一部を改正する法律」によって相対的欠格になりましたが、「寛解」「残遺症状がない」「きわめて軽微」など、あいまいな基準であり、実際上「なおっている」に限りなく近いものです。もし、これを厳格に適用した場合、現在免許を保有している人の多くが免許を制限されることになってしまいます。
 仮に、この素案に沿って精神障害者などの免許を制限した場合、免許をもてなくなった人々の社会生活はきわめて制限されることになります。それは地方に行くほど顕著になります。地方では公共交通機関が十分に整備されておらず、自家用車が移動の不可欠な手段になっています。免許を制限されれば、医療機関に通院することさえできなくなります。こうした状況への考慮もなく、一方的に免許を制限することは「障害者の社会参加を進める」という障害者欠格条項見直しの精神に逆行するものです。

3)原則はセルフ・コントロールに
 「自動車等の安全な運転に支障を及ぼすおそれがないことが明らかである場合(別紙2の2(1)@(ア)など)」には免許を与えるとあります。しかし、実際には医者であっても、例えば2年間てんかん発作がなかったからといって、「今後とも決してない」、「絶対ある」との予測はできません。医者は現在の状態の判断はできても、将来にわたる予測はできないのです。
 私たちは免許試験に合格した者には一律に免許を与え、障害や病気を理由に運転が困難であるかどうかの判断は免許者本人の判断(セルフ・コントロール)に置くべきだと考えます。なぜなら、障害による心身の状況や病気による症状は本人が一番理解し得るものであり、重篤な場合には本人も運転できないし、本人自身運転しようとは思わないのです。
 飲酒時や睡眠不足時にも正常な判断能力が失われることがあります。これらの場合にはセルフ・コントロールに置くのに、なぜ精神障害や一部の発作性の病気だけを取り立てて、免許を拒否したり取り消したりする必要があるのでしょうか。可能性だけを問題にするならば、心臓病や高血圧の人は全員、免許証をとりあげなければならなくなりますし、健常者といえども、運転中に突然、心筋梗塞や脳卒中の発作を起こす可能性があるのですから。

4)必要な医療からも遠ざける
 素案に検討事項として追加されている、免許申請時・更新時の病状等申告を、もし導入すれば、今回法律に追加された臨時適性検査の義務づけ(検査を拒否した人の免許停止・取消)とも併せて、免許の拒否や剥奪が広汎に起こりえます。
 社会生活上の必要(ここにはもちろん趣味としてのドライブなども含まれます)から運転が必要な人は、医師に免許を持っていることを隠すことを余儀なくされます。薬物の影響も含めて、運転上の注意点などについて医師と患者が話し合うこともできなくなってしまいます。これは患者本人にも周囲の人にも危険なことです。
 現状では免許取得者が精神障害等を持つか否か、警察は把握していませんし、一方、精神障害等を持つ人が免許を持っているかどうか、医師や医療機関は必ずしも把握していません。また、それでいいのです。
 仮に、2(3)「免許申請書等への病状等の記載の義務付け」を行えば、病名を自己申告した殆どの人が免許を制限されかねません。免許の拒否、停止、取消の危険をおかしてまで、医療機関に行こうとはしないでしょう。これは医師と患者の治療上の信頼関係を損ねかねず、障害や病気がある人を、必要な医療からも、一層遠ざけてしまうことになります。
 素案のように十中八,九、免許を制限されるような中では、医師は自己申告をしないように忠告せざるをえないでしょう。仮に、自己申告を徹底させたいのであれば、自己申告しても殆どが拒否されないという条件がなければならず、もし免許を拒否する場合も、異議申し立てをする権利について本人に明確に説明され、異議申立について本人の意見を十分に聞き公正な審査を行える仕組みがなければなりません。

5)欧米では運転は「個人の権利」として慎重な扱いが前提
 また、別紙2の2(3)ではアメリカ(ニューヨーク州)、フランス、イギリスの制度運用も例にあげていますが、それらの国では、障害や病気があろうとなかろうと、個人の権利の問題として自動車運転を慎重に扱っていることについて、素案は一切ふれていないのは、おかしなことではないでしょうか。各国では、受験時や運転時の必要な配慮や補助的手段についても、個人にあわせた様々な支援がされています。
 ニューヨーク州で免許申請時、更新時に、既往症や治療、症状について報告義務があるということが例に引かれていますが、アメリカは州による違いも大きい国です。また、アメリカてんかん協会の文書(※)によれば、ほとんどの州では、「州はそこに住むすべての住民の公共の安全を保証する責任を持つ一方、運転が多くの個人の目的(雇用、医療、買い物、レクリェーション活動への参加など)を達成する有効な手段であり、別の手段では達成できない可能性があることもまた認識しなければならない。したがって、州の運転免許の規制は、住民の機会を一方的に制限せず、かつ安全問題をきわめて的確に扱い、制定されることが重要である。」という考え方に基づいています。そうした基本的理念の紹介もなく、わざわざ、てんかんの場合発作消失期間の定めが1年と、3か月〜6か月が半数を占めるアメリカでは長いほうのニューヨーク州の例を出すのは、やや偏っているのではないでしょうか(期間はいずれも1998年当時)。
 ※注 上記5)の第二段落で引用した文書、資料は、次の冊子に掲載されている。「障害を理由とする欠格条項 諸外国の実情」佐藤久夫氏(日本障害者協議会政策委員長)編集、アジア太平洋障害者の10年推進地域会議(RNN)2001年1月発行

6)まず、差別偏見の見直しを
 当会に寄せられている相談事例をみると、あまりにも、警察、公安委員会、運転免許センター等において、障害や病気を「危険」ときめつけた、「有無を言わせない」強圧的な対応が多く、そのほとんどは、異議申立を出しても形式的審査で却下されているようです。本人の意見が十分に聞かれ、合理的な判断による再審査を求めて権利回復ができるのか、大きな問題としてあります。
 事故は、障害や病気の有無にかかわらず起きうるもので、誰にとってもどんなに気をつけても絶対起きないとは言えません。事故が起きたとして、そのケースが本当に障害や病気と直接かかわっているのか、過労からの居眠りや注意力低下によるものか、単なる不注意なのか、運転に不向きな個性ゆえか、立証はとても困難なことです。にもかかわらず、その人が障害や病気をもっていればすぐさま原因をそれに結びつけられてしまったケースがこれまでも多々あります。

7)道路交通法施行規則の「免許試験の適性検査」基準も見直しを
 今回は政令の素案提案ですが、「道路交通法施行規則」で定める免許試験の基準も見直しが必要です。151国会でも、特に聴覚障害者の適性検査基準「補聴器をつけて10メートル離れて90デシベルのクラクション音が聞こえる」の合理性の問題、各国の状況、必要に応じて補う手段があることについて、参考人や各議員から重ねて提起、質問がありましたが、正面からの答弁はなされませんでした。「道路交通法施行規則」の適性検査基準の見直しも、改めて障害当事者の意見、体験を聞いて進めるべきです。

 大事なのは、精神障害やさまざまな病気の人々と医師等が運転免許について話し合える機会を十分に作ることです。自分の症状と運転の危険性について相談でき、あまりに症状が悪い時期であったら運転を控えるよう勧められることもあるでしょうが、安心して、治療を受け相談できる環境作りが重要です。

 こうして精神障害やいくつかの病気だけを取り立てて別扱いにすることが、一般市民に精神障害などに対する差別や偏見を再生産していることも見逃してはなりません。今回の欠格条項見直しで、もっとも必要なのは、障害や病気をもって排除することではなく、それぞれ異なる個人の状況とニーズをふまえ、補助的手段など本人とよく相談して支援してゆく視点です。
(以上)


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