道交法改正試案パブリックコメント |
2001年1月24日 警察庁交通局 交通企画課法令係 殿 障害者欠格条項をなくす会 共同代表 牧口 一二・大熊 由紀子 DPI(障害者インターナショナル)日本会議 議長 山田 昭義 全国自立生活センター協議会(JIL) 代表 樋口 恵子 |
|
(一)障害者の社会参加と運転免許の重要性、障害者欠格条項の理不尽さ〜根本的な見直しが必要 要点 ・多くの障害者や病者は、健常者以上に、自分で運転できることを必要としています。 ・「その人がどのようにしたら問題なく運転できるか」について適切な支援を受けられるかどうかは、障害者の社会参加にとって大きな要素です。 ・聴聞、異議申立のシステムを確立する必要があります。 ・政府の障害者欠格条項見直しの趣旨をふまえて、根本的な再検討を求めます。 説明 障害や病気がある人には、自分の意志でいろいろな場所に行き、社会的活動をするための、ただ一つの手段が自家用車による移動、という人も少なくありません。もし自動車を運転できなければ、その人はずっと家の中にいなければならなくなります。 また、障害や病気のコンディションによって、自動車による移動が最も適している人たちも多くいます。 鉄道やバスなど公共交通網が充分に整備されていない地域、雨や雪など厳しい気象の地域なら一層、自動車による移動は日常生活に不可欠です。大都市でも、交通バリアフリー化が進んできたとはいえ、まだまだ利用しにくい交通機関が大部分です。 現在、さまざまな求人は、運転免許所持を前提にしているものが多く、免許証を持っていないと、就職することは更に難しくなります。 自動車運転免許は、フォークリフトなどの免許講習受講資格になっており、建設機械など各種車輛の運転免許ともリンクしているため、技能を新たに獲得する上で必須のものです。 上記のような、障害者の社会参加にとって運転免許の持つ重要性を再認識され、生活環境や個人のニーズについても十分に考慮する必要があります。 何よりも、何とかして社会参加しようと工夫している障害者本人の声をよく聞き、支援することを、基本とすべきです。 どのような場合にも、本人の意見に真剣に耳を傾け、充分に検討して決定できるような、異議申立、聴聞のシステムを確立する必要があります。障害や病気にかかわってどうしても免許の拒否や取消・停止が必要となる場合があるならば、本人が納得できる経過と内容で決定に至れるようにすべきです。 道交法は、政令や省令によって細目、基準を決める方法がとられていますが、法律条文にとどまらず、政令や省令についても、障害当事者の意見を十分に反映するよう求めます。 従来、肢体障害や視聴覚障害の場合は、法律上は絶対的欠格ですが、実際運用上は、施行規則に定める一定の条件を満たした場合は免許交付が行われてきました。今回の試案は、法律上それを追認する方向のものといえます。新たな検討がきわめて不十分なため、従来から運用上の緩和さえも乏しかった「てんかん」や「精神分裂病等」については、原則禁止を打ち出す内容になっています。 このような姿勢で障害者欠格条項見直しにあたるのでは、障害者・病者に対する危険視、差別、不当な取り扱いは続きます。実際そのことによって、障害者は不利な立場におかれ、長年にわたって苦痛を受けてきました。精神病者や「てんかん」の病歴をもつ人は、現状では堂々と免許を取得できず、なにか悪いことをしているかのような気持で運転せざるを得ません。聴覚障害者が、軽微な事故の示談で相手方から「法律には免許を与えないと書いているではないか」と恫喝された例もあります。 この意見書は、政府の障害者欠格条項見直しの趣旨をふまえて、運転免許の障害者に係る欠格条項について、根本的な再検討を求めるものです。 (二)障害・病気への偏見差別に基づく二重基準=欠格条項の廃止を 要点 ・障害名や病名をもって、法律で「運転免許を与えない」「取り消す」とする欠格条項の全廃を求めます。 ・運転免許試験に合格した人に、免許を与えるのは当然のことです。 説明 試案では、「運転免許試験に合格した者がてんかん、精神分裂病等にかかっている者である場合には、道路交通の安全の観点から、政令の基準に従い、免許を拒否することとします」となっています。 しかし、「てんかん、精神分裂病等にかかっている」というだけで試験に合格しても免許を与えないとする客観的・合理的な理由は、どこにもありません。 実際、精神の病気やてんかんを持つ人も、大部分の人は運転に問題がないのです。身体の病気がそうであるように、病気の重い時期に一時的に運転に問題が生じるだけです。例えば心筋梗塞やクモ膜下出血に見舞われたとき、糖尿病低血糖の発作のときに運転ができないのと同じです。 にもかかわらず、ことさらに例外事項に「てんかん、精神分裂病等」を挙げることは、これらの病気に対して有害な偏見・差別を警察庁自ら強化することです。 今、必要とされているのは、排除ではなくて支援です。 試案には、「…現行の運転免許試験に合格すれば、すべて免許を与えることとします」とあります。 試験によって、その人が運転に必要な技能や知識を持っているかどうかをはかるわけですから、本来、「試験に合格すれば免許を与える」というだけでよいはずです。その上に、障害や病気を理由とする二重の基準を設けてきたのが欠格条項です。 今回の道交法改正作業を機に、法律条文から、障害や病気によって免許を与えない(又は、取り消す)とする欠格条項を、全て削除することを強く求めます。 試案は(2)の備考において、「例えば、精神分裂病であっても、寛解していて、安全な運転に支障を及ぼすおそれがなければ、免許の拒否の対象としないものとすることを予定しています。また、てんかんであった方でも、その後治癒されていれば、免許の拒否の対象としないものとします。」と記述しています。 しかし、これも「精神病者」「てんかん病者」すなわち「危険」という色眼鏡で見ることには変わりありません。病名のレッテルで予断するのではなくて、その人が現状で安全に運転できる状態かどうかで見るべき問題です。 適切な医療を受け、セルフ・コントロールすることで、問題なく運転できている人は、現実に数多くいるのです。当然のことですが、自ら危険と判断する状態のときに運転しないことは、極端な睡眠不足の時や、風邪薬を飲んでいる時は運転しないというセルフ・コントロールと同質です。実際そのようにして長年安全運転を続けている、精神病やてんかんの人は多くいます。 今回の試案に示されている「てんかん、精神病」への偏見を、根底から払拭する必要があります。 (三)個人支援技術の開発活用、交通環境の改善で広がる可能性 要点 ・個人支援技術の開発が進み、かつては不可能だったことも可能になっています。 ・運転免許試験も問題を理解しやすい記述や実施方法が工夫されるべきです。 ・交通標識や機器の大きさや色、道路など、安全運転のための走行環境の見直しも強く求められています。 説明 運転装置や補助機器は、非常に開発が進んでおり、可能性が飛躍的に広がっています。個々人がニーズに応じて、装置や機器を柔軟に選択活用するためには、それを旧来からの規制によって妨げたりするのではなく、積極的に後押しする法制度の整備、関係者への研修徹底が必要です。 運転免許試験の問題が、文章として理解しにくいことは、知的障害のある人等にとっては特に大きな壁になっています。記述の改善、実施方法として口頭によるテストの導入、聴覚障害者ならば試験時の字幕表示や手話通訳など、情報のバリアをなくす一環としても更に取り組む必要があります。 なお、口頭によるテストは外国に例があり、国によっては、その国の標準言語が得意でない人にも配慮しています。 日本でも、1972年ごろ、青信号の色彩が、さまざまな色覚の人にとって視認しやすい色に変更された経緯があります。道路走行にかかわる各種の標識や機器の大きさや色について、改めて広く意見を募り、改善することが非常に重要です。また、狭い自動車道、事故がきわめて起きやすい構造の交差点など、道路交通環境の安全性を基本から見直していくことも急務です。 (四)障害・病気理由の免許拒否を法律で決める日本の異様さ、結び 要点 ・海外七カ国からの回答をみると、障害や病気を理由に免許を与えないと法律で決めている国は日本だけです。 ・誰でも、運転してはいけない状態に一時的になることはありえます。それについての免許停止はありえます。 ・もしも事故を起こしてしまったときは、ドライバーとして責任をとることは当然です。 説明 「新・障害者の十年推進会議」が2000年に行った海外調査(回答国は、アメリカ、イギリス、オーストラリア、オランダ、カナダ、スウェーデン、ドイツ)によれば、個人の自家用車運転について、障害や病気を理由にした障壁はない、という回答が大部分です。逆に、もし不合理な扱いをすれば差別として裁かれる国が、多くを占めています。 個別の状況による制限は行われる場合があります。アメリカの州の4/5は、てんかん発作消失期間を要件とし、1/5は、一律の期間を定めず個別の状況で判断しています。期間は、大多数の州が3か月〜1年の幅の中で設定しており、10年前と比べて半分に短縮されつつあります。全ての州で、裁判で免許不交付決定を争うことが認められており、本人が異議申立をして是非を問うシステムが確立していることも、日本との際立った違いです。 事故は、障害や病気の有無にかかわらず絶対に起きないとはいえません。もしも事故を起こしてしまったときは、客観的な事実関係の解明の上で、ドライバーとして責任をとるのはいうまでもないことです。 私たちは無茶や無理を言おうとしているのではありません。 過大な保護を求めているのでもありません。 たいした根拠もないままに、障害があるというだけで不利な状況に置かれてしまう現状を改めていただきたいと申し上げているのです。 自らの努力により可能性を感じたからこそ、次のステップを求めて関係機関へ相談に出向くのです(この想いは、現状では生きぬくために必死です)。その熱い想いを、政治は今日まで冷たくも門前払いにしてきたわけで、それが欠格条項なのです。真摯に、本当の意味で見直していただきますように。 |
以上 |
|
戻る |