総理府障害者施策推進本部への意見書 |
1999年7月14日 | ||||||||
総理府障害者施策推進本部 本部長 小渕恵三 さま |
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障害者欠格条項をなくす会 代表:牧口一二/大熊由紀子 事務局:東京都新宿区高田馬場4-28-6 光楓マンション101 電話:03-5386-6540 FAX:03-5337-4561 DPI(障害者インターナショナル)障害者権利擁護センター・気付 |
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ごあいさつと「われわれの主張」 |
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こんにちは!きょうは総理府障害者施策推進本部のみなさんと、法律上の障害者に関する「欠格条項」について、この意見書をお渡しし、十分に話し合うためにやってきました。私どもは「障害者欠格条項をなくす会」のメンバーです。どうぞ、よろしく! (この「欠格条項」というのは法律用語なのでしょうが、一般社会になじみにくい言葉です。その内容をわかりやすく伝えていくのも私どもの会の務めだと思っています) きょうは、総理府の方々にあらためて「障害」とは何かを考えていただき、障害者の置かれた状況を再認識してほしいと切望します。その上で現行の欠格条項をあらためて見直してほしいのです。 きっと、そのほとんどが障害者に機会を与えてあと押しする法律ではなく、障害者の意見も聞かずに門前払いしているものだと気づかれることでしょう。私どもの怒りはここにあります。 1970年代に入って、全国各地の障害者が立ち上がり人権を求める運動を展開してきました。親のもとや施設でではなく、ひとりの市民として地域で暮らすことを願い、30年前の、高齢者や障害者への配慮がほとんどなかった時代に、全国の障害者たちは危険を覚悟しつつ体を張って街に繰り出しました。それが、バリアフリーのまちづくりの第一歩であり、障害者自身による人権運動のはじまりでした。 そして1981国際障害者年と「障害者の10年」などを経て、現在では駅や建造物などにエレベーターや障害者用トイレが増え、点字ブロックや案内表示など、さまざまな障害者への配慮が目につくようになってきたことはご承知の通りです。住宅や自動車なども、車いす使用者などが不便を感じないデザインのものが、広まってきています。 まだ未完成とはいえ、ここに至るまでに30年を要したのです。 しかしながら、これらの改善は未だに「福祉」の枠の中で考えられており、「人権」の視点は希薄であると言わざるを得ません。私どもは一貫して障害者差別をなくし、人権を確立するために運動してきたのです。 どうして私どもの真意は伝わらないのでしょうか? それは、まだ個人の特質である「障害」を、個人の「能力」としてしか捉えられていないからだと思います。ほとんどの欠格条項は「障害」をそのように考えていた時代のものです。つまり、「できない」理由を障害者個人の障害のせいにしてしまっていたわけです。 私どもは、「障害」が障害となる原因は、周りの環境や法制度にあると考えています。個人の能力で「できない」ものがあっても、配慮された設備が整ったり、手助けしてくれる人と人との関係があれば不可能は可能に変わります。 そうした、お互いに他者の存在を感じあえる社会がもっとも人間らしいと思われませんか? 国際障害者年の行動計画で謳われた「ある一部の人(障害者など)をしめだす社会は、弱くてもろい」というのは、まさにこのことを表していると思います。この考え方が私どもの基本理念です。 でも、さまざまな人が暮らしている社会ですから、そう簡単に理念通りいかないこともあるだろうと思います。 わかりやすい例をあげますと、全盲の人はおそらく車の運転免許証の取得は困難でしょう。本人にも他者にも危険がともなうことですから。しかし、門前払いで「ダメ」と言ってしまっていいのでしょうか? 話し合えば、おそらく本人から「怖いから遠慮します」という言葉が出てくるでしょう。 どうか決めつけないでください。 視聴覚障害者、精神障害者は、欠格条項のため、医療関係の資格をとれません。たとえば昨年、薬剤師の国家試験に合格した、聴覚障害をもつ女性がいますが、いまだに免許が与えられていません。一週間でも、彼女を現場にうけいれてみたら、いろいろな心配はとりこし苦労だったとがわかると思います。不安に思っていたまわりの人も、たいていのことは工夫や改善で解決できることに気付かれるはずです。 ところが、欠格条項があっては、障害者は希望を断ち切られ、「こうやったら、できますよ」と実際にやってみせることもできないのです。 一例として、1973年から、聴覚障害者は条件つきでバイクや自動車運転免許をとれるようになりました。それまでは「耳がきこえない者の運転は危険」ということで、免許が交付されませんでした。1986年には、免許をもつ聴覚障害者と健聴者とを比べた警察庁の検査で、事故をおこす傾向は同じ程度ということがわかりました。耳がきこえないから危険だということはなかったのです。てんかんや精神病歴のある人も、定期的に薬をのみ、コンディションがよくないときは休むようにすれば、十分、安全運転できています。それでも、法律はまだ「絶対に免許を与えない」としたままです。 ナビゲーターが活用されはじめた時代ですから、ひょっとすれば全盲者が車を運転できる時代がくるかもしれません。このような夢のようなことも念頭にいれて法律は柔軟であってほしいと考えます。 また、これは日常的な事例ですが、障害者が住まいを求めるとき「火を出したとき危ない」との理由で家を貸してもらえないことが非常に多いのです。しかし、よく考えてみると、障害者があやまって火を出せば自分が逃げおくれて焼死するわけで、当然のことですが万全の注意を払うことでしょう。事実、障害のない人の失火による火災の確率より障害者によるその確率は圧倒的に低いのです。 このように障害者は頭の中だけで「できない」と考えられてしまうことが多く、そこから偏見と誤解が生じます。現行の障害者欠格条項には、同質の誤解と偏見に基づいて法律化されているものが多くあると思われませんか。 さて、法律は人を裁くためにあるのでしょうか? 他者に迷惑をかけないために存在しているのでしょうか? いいえ、憲法や法律の基本理念は「人を守り、人を活かす」ために存在しているはずです。障害者を活かす、障害者を応援するのは人類の務めです。それができない人類はグロテスクでしかない、人間が人間性を失ったときであると言えないでしょうか。私どもは、そう思います。 ぜひとも、障害者欠格条項をすべてなくしてください。 そして、一つひとつの事例については問答無用の門前払いにするのではなく、可能性を広げようと努力している障害者の話をよく聞き、できる限り応援する、その精神を法律に反映してほしいと要求します。 私たちは無茶や無理を言おうとしているのではありません。 過大な保護を求めているのでもありません。 たいした根拠もないままに、障害があるというだけで不利な状況に置かれてしまう現状を改めていただきたいと申し上げているのです。 自らの努力により可能性を感じたからこそ、次のステップを求めて関係機関へ相談に出向くのです(この想いは、現状では生きぬくために必死です)。その熱い想いを、政治は今日まで冷たくも門前払いにしてきたわけで、それが欠格条項なのです。 そこで以下の点をお伺いします。 |
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記 |
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1.私どもの基本的な考え方について、どのように思われるでしょうか。 2.基本理念だけでは、どうしても解決できない具体的な事例はあるでしょうか。 教えてください。 3.具体的に解決できない事例は、どのように考えていけばいいのでしょうか。 |
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4.つぎに述べることは、私どもからの要求です。
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5.一つひとつの困難を、お互いに話し合い、よく考え合って、一日も早く障害者が差別されることなく、希望をもって生きていける社会をつくりたいと、私どもは願っているのですが、法律面での力や知恵を貸していただけますか。私どもは全面的に協力します。 (建設的なご意見は、私どもの会が率先して障害者仲間に伝え、運動として広げていくことをお約束します) |
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以上 |
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