アドルフ・ラツカ氏から「コロナ禍での重度障害者の生きる権利」についてのメッセージ
2022年02月08日 尊厳生
世界的障害者リーダーであり、重度障害者の自立生活のロール・モデルのスウェーデンのアドルフ・ラツカさんが、コロナ禍での重度障害者の生きる権利についてメッセージを出しましたので、ご紹介します。
トリアージや尊厳生について、私たちも真剣に考えねばいけない時がきています。
中西由起子(DPI副議長、国際部会長)
スウェーデンだけでも、パンデミックで16,000人以上が命を落としました。
しかし、現在の議論は、重度障害や末期疾患を持つ人々の自殺幇助です。私は60年以上呼吸器と一緒に暮らしています。私は自分の人生が好き。あなたの人生が生きる価値があるかどうかを他の人に判断させないでください!死の支援の前に生きる支援を!
元ビジネスリーダーで、仏教僧、作家、講師である、ALSと診断されたビョルン・ナッティコ・リンデブラッド(Björn Natthiko Lindeblad)が1月17日に自分の人生を終わらせると選択したとき、メディアの注目の的となりました。議論は、人生を終わらせる権利をもつ難病や難しい制約を受けている人に関してでした。
しかし、私たちには、難病や大きな限界を抱えて生きるうえで、支援や生命維持治療に対するどのような権利があるのでしょうか。
私は78歳です。60年以上、呼吸器と鼻マスクと一緒に生活し、電動車椅子を使用し、ほとんどのことに介助者の助けが必要でした。1961年、17歳で、ポリオに罹り、麻痺し、呼吸ができず、頭だけを外にして大きな筒に横になるタイプの人工呼吸器である鉄の肺の中に入れられた時、自殺したいと思いました。
これからの人生を絶望的で長引かされた死として見ました。 数本の指しか動かせませんでした。 どうすれば自殺できるのか? ハムスターのように両頬に睡眠薬を寄せ集めるのはだめでした。私は幸運でした!人生が私にどんな可能性を提供してくれるのか分かりませんでした。
ビョルン・リンデブラッドは、医療制度を通じて快適で安全な死を迎える権利を求めて戦いました。 確かに、誰もがこの機会を持つべきです ― 彼らが生きるために必要なすべての助けを受けた後!
生命維持治療を開始しないかまたは継続しないかの決定前に、担当の医師は、スウェーデン国家健康・福祉委員会の法定文書2011:7の第3章に従って、少なくとも1人の他の認定された専門家と、患者の記録で、中でも生命維持治療に対する彼または彼女の態度と、患者の親族の態度に関する文書調べなければなりません。しかし、生きたいと思い生命維持治療を必要とする場合も、同様に安心させるように規定されていますか。
1月6日、コロナに罹患した重度障害の女性が、重い呼吸困難を抱えてストックホルムの南病院(Södersjukhuset)に入院しました。担当医は、家族の嘆願にもかかわらず、生命維持治療で生き延びるかどうか確信がなく、酸素または挿管を拒否しました。 その女性は2日後に亡くなりました。
医療提供者は、患者やその家族が生命維持治療を要求する際に、晴らの願いを尊重する必要はありません。流行開始の当初、数千人とまではいかなくても数百人の高齢者が酸素や挿管なしで、訊ねられることなく、医師の診察を受けることなく、直ちに緩和ケアを受けました。高齢者や障害者にとって、このように命を失うリスクは、希望以上に長生きしなければならないリスクよりもはるかに大きくみえます。
多くの重度障害者は、コロナで入院することになった場合、自分たちの生活を恐れます。 医者は人の生活の質をどのように判断しますか?誰が完全に先入観から解放されていますか?私のことを知らない何人の医者が、私の人生は生きる価値があると思うでしょうか?そのため、家族や数人の親しい友人も署名するという意向書を書きました。
私が最後に入院することになった場合に備えて、原本は私の医療記録に添付されます:
「あなたが私をよく知らず、私の体、24時間の人工呼吸器の必要性、そして広範な介助の必要性だけを見るなら、病気になる前にすでに質の高い生活が提供されていなかった私の生活へは、どのような生命維持治療の後にもそれを提供しないと結論付けるのは簡単です。
私は妻と娘と一緒に充実した、豊かでエキサイティングな人生を送ってきていて、研究者、プロジェクトマネージャー、いくつかの組織の創設者、障害者運動のリーダーとして、国際的には多くの国で講師を務め、たくさんの旅行をし、海外に長期滞在して、海外で勉強し、働いています。そしてそれはまだ続いています。 私は現在、「抑圧された者の高齢化」と題した国際的な本の章を書いています。」
障害を持っての60年間は、私にとって何が生活の質を構成するのかを理解する助けとなりました。主に家族や友人との関係、新しい人との出会い、自然の中で体験できる幸福感、芸術の熟考、室内楽の鑑賞、障害者政策における私の仕事、文学やいくつかの科学分野への関心、毎日の瞑想の実践などたくさんのこと ー
一緒になって、一日に何度も私に喜びをもたらし、人生を面白くて生きる価値のあるものにする小さなもの。この認識に到達し、障害と高齢化についての私自身の先入観に気づくことには、多くの年月、多くの考え、多くの心理療法セッションを要しました。
私は自分の人生が大好きで、できるだけ長く生き続けたいと思っています。したがって、私は責任ある医療提供者に私の立場について家族や友人とも話し合うように頼みます。たとえば、投薬、外科的介入、酸素、挿管、気管切開などで私の人生を維持する機会があれば、そのチャンスを利用したいです。
重度障害を持つすべての人は、生活の質や自分たちがそれをどのように見ているかについての自身の見方を明確にするために、同様の文章を書くべきです。現在の若さと健康への固執と社会情勢激化にともない、他の人が私たちの生活を非難するのが簡単になりすぎています。
アドルフ・ラツカ