【ポイントまとめました】「インクルーシブな社会はインクルーシブ教育から~熊本からの発信~」(DPI全国集会「熊本分科会」報告・感想)
DPI全国集会「熊本分科会」について、報告を平野みどり(DPI議長)が、感想を参加者の辰巳太基さん(熊本県水俣市)が書いてくれましたので、ご紹介します!
こんなことが報告されました(ポイントまとめ)
(敬称略)
1.植田洋平(ヒューマンネットワーク熊本事務局長)
- エレベーター設置が「合理的配慮」であるにもかかわらず学校の事情で実現せず、昇降機での移動となった事例がある
- バリアフリー法改正によってエレベーター設置を含むバリアフリーが新築、改築時には義務化された
- 熊本市では市議との連携による教育委員会の前向きな取り組みを促すことができた
2.廣岡睦美(ともまなネットくまもと代表)
- 子どもがダウン症児として生まれてきたときは、優生思想に基づくネガティブな感情を抱いていた
- 支援学校や支援学級でなく、子どもには通常のクラスで友だちと繋がって成長していくことが最善である
- 現在は定員内不合格を出している高校に挑戦しているが、学校長や県教育委員会の時代錯誤な対応が壁となっている
- 県教育委員会との定期的な対話を継続することとなり、分けられない教育の高校での実現に向けて粘り強い交渉が始まった
3.川口久雄(益城町立広安小学校教員)
- 教員になったばかりのころは、障害児としっかり向き合っていなかった
- 障害児たちとの関わりを積み重ねて、自分自身の差別感情を乗り越えインクルーシブ教育の実践者となった
- 分科会内で紹介された、児童の書いた文集の「学校でだけでなく、大きくなってもずっと一緒だよ」という言葉に、多くの参加者が心打たれた
4.橋村りか(医療的ケアを必要とする子どもたちの豊かな学校生活を願う親の会・にじいろの会 代表)
- 熊本地震の震源地である益城町で被災し、家屋が全壊状態となった
- 近所の方が「ももちゃん(医療的ケア児のお子さん)、大丈夫?」 と救出を支援してくれた
- 地域の中で繋がりあって育つことは、災害時にも大きな支えを得られることを多くの熊本の仲間が経験した
5.西 惠美(熊本市手をつなぐ育成会会長)
- 障害者権利条約を学ぶ中でインクルーシブ教育の重要性を知ることになった
- インクルーシブ教育をただちに実現できなくても、まずは目標を据えるべき
- 地域の学校であれ支援学校であれ、学ぶ場を選択でき、必要な支援を受けながら学び・育つことが重要
詳細は下記報告をご覧ください。
分科会開催の経緯
本分科会は、例年の教育分科会とは異なり「熊本教育分科会」と称して、進行役の西尾さん以外は報告者、発言者がほぼ熊本県在住の方々となりました。
ローカル感もありつつ、真のインクルーシブ教育を求める取り組みや現状について、日本全体で共通することの意義を改めて感じさせる分科会となりました。
分科会で議論したこと
まずDPI加盟団体であるヒューマンネットワーク熊本の植田洋平事務局長から、地域の学校での学びを求める障害のある子どもたちや親からの相談の現状が報告されました。
学年が上がるにつれ、上層階の教室にクラスメイトと一緒に上がるためのエレベーター設置が「合理的配慮」であるにもかかわらず、学校の事情で実現せず、昇降機での移動となった例や、バリアフリー法改正によってエレベーター設置を含むバリアフリーが新築、改築時には義務化されたことを受けて、熊本市での市議との連携による教育委員会の前向きな取り組みを促すことができた例などは、政治と政策の連携の必要性、有効性を考えさせるものでした。
廣岡睦美さんの報告は、三男の映頼(てら)さんの小中学校でのインクルーシブな環境での友だちとの学び・育ちについての感動的かつ示唆に富んだ内容でした。
冒頭に廣岡さんは、映頼さんがダウン症児として生まれてきたときの自分の感情を、優生思想に基づくネガティブなものだったと述懐されました。
紆余曲折を経て、廣岡さんは支援学校や支援学級でなく、映頼さんには通常のクラスで友だちと繋がって成長していくことが最善であると確信します。
廣岡さんの資料には、映頼さんと友だちのたくさんの素敵な写真が掲載されており、それらは私たちにインクルーシブ教育への勇気と確信を与えてくれ、温かい気持ちも運んでくれました。
ところが、今、廣岡さんや映頼さんは高校への壁にぶつかっています。映頼さんは定員内不合格を出している高校に挑戦しますが、学校長や県教育委員会は、高校全入時代の今においても適格主義に絡めとられ、障害者権利条約も全く学ばないまま、周回遅れの対応に終始しています。
ただ、県教育委員会とは定期的な対話の窓口は継続することとなったため、先進事例の経験を活かしながら、分けられない教育の高校での実現に向けて粘り強い交渉が始まっています。
三人目の報告者である川口久雄さんは、小学校の教員です。後に発言される橋村りかさんの長女ももかさん(医療的ケア児で、2018年に17歳で死去)が、地域の小中学校の通常学級で学び・育つことを実現した、理解ある実践者です。
そんな川口さんですが、やはり教員になったばかりのころは、障害児としっかり向き合っていなかったと振り返ります。
しかし、障害のある子どもたちとの関わりを積み重ねていく中で、自分自身の差別感情を乗り越え、インクルーシブ教育の実践者となられたようです。
学校でだけでなく「大きくなっても、ももかさんとずっと一緒だよ」と先生に言い返す子どもたちの言葉(分科会内で文集が紹介された)に、参加者の皆さんの心も熱くなったのではないでしょうか。
四人目の発言者である橋村りかさん(前出のももかさんのお母さん)は、以下のように述べました。
「熊本地震の震源地である益城町で被災し、家屋が全壊状態となったとき、近所の皆さんは『ももちゃん大丈夫?』と救出を支援してくれました。地域の中で繋がりあって育つことは、災害時にも大きな支えを得られることを、ももかだけでなく多くの熊本の仲間が経験しています」。
インクルーシブ教育の重要性を、身をもって実感してきたりかさんは今、天国のももかさんに見守られながら国政に挑戦者しようとしています。インクルーシブ教育を真に理解する議員がまた一人誕生すると思うと、心強いです。
発言者の最後は、西恵美さん(熊本県・熊本市手をつなぐ育成会会長)でした。知的障害のある娘さんは、東京で育ちました。小学校は地域の学校へ、中学校から支援学校に通いました。その後、一家は故郷である熊本に戻ってきました。
支援学校で子どもにとって良かったのは、クラスや生徒会など役割を担う経験ができたことだったそうです。
障害者権利条約を学ぶ中で、インクルーシブ教育の重要性を知ることになり、直ちに実現できなくても、目標を据えるべきだと考えるようになったそうです。
そして、まずは地域の学校であれ、支援学校であれ、学ぶ場は選択でき、そこで必要な支援を受けながら学び・育つことができるようにすることが重要だと語りました。
分科会の最後にDPI議長補佐の崔から、以下のように発言がありました。
「参加している皆さんの多くが感動しておられるようです。たくさん喋りたいですが、一つ言えるのは『運動は裏切らない』 ということです。この言葉は、誰かが言っていたのですが、いい言葉ですよね。
今日、全国からオンラインでこの分科会を聞いてくださっていると思います。色んな人が運動を支えています。そしてそんな皆さんと、地域を変えていく運動を展開しないといけないと改めて感じました。分科会に登壇してくださった皆さん、ありがとうございました。」
平野みどり(DPI議長)
参加者感想
川口さんのお話を聞いている途中から涙がにじんできました。川口さんが読み上げてくださった子どもが書いた文章は「一緒じゃないとダメなんだ」ということが、どんな理屈も超えて、ストレートに胸に染み込んできました。
「ほんとにそうだ」と有無を言わせず納得させられる迫力がありました。
それは、川口さんの後にお話しされた橋村さんの語りに登場する「ももかさん」についても同様でした。
今回の分科会では親の視点、教員や保護者の視点、支援者の視点など、いろんな人が見ている「教育を取り巻く状況や背景」をそれぞれの語りから感じることができました。
そして、思っていた以上にそれぞれが「ブレていた」ことがけっこう意外でした。
「親も色々ブレている」と手をつなぐ育成会の西さんは語ってくださったのですが、それは親だけに限ったことではなく、みんな迷い悩んでいて、だからこそブレるんだという気がしました。
そしてそういう時こそ「こどもに聞く」ことが大切だと思いました。「先生、ちがうよ」と川口さんに言ってくれたあの子のように。
きっと大切なことは、目の前にいる一人ひとりの子どもたちの中にあり、そしてひとりの人間として子どもたちに向き合う時の自分の中にある。そんなことを感じさせてくれた分科会でした。
辰巳太基(熊本県水俣市)
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