【ポイントまとめました】「ジュディ・ヒューマンの贈り物―孤立、隔離、排除を拒否した生き方をどう継承するか」(DPI政策論「国際協力分科会」報告・感想)
DPI障害者政策討論集会2日目「国際協力分科会」について、報告を降幡博亮(DPI常任委員)が、感想を工藤登志子さん(自立生活センターSTEPえどがわ)が書いてくれましたので、ご紹介します!
こんなことが報告されました(ポイントまとめ)
(敬称略)
1.西村正樹(DPI日本会議副議長)
- ジュディはメッセージの中で障害者の権利の実現のための条約の制定や、違いが認められる平等な社会の実現のための法整備が必要であることを強く訴えていた
- この大会が契機となり、その後の国連障害者権利条約および各国での障害者差別禁止法の制定が進んでいった
2.盛上真美(全国自立生活センター協議会)、平野みどり (DPI日本会議議長)
- 世界銀行という経済専門家中心の組織の中での女性障害者としての苦労と努力があった
- 海外訪問先の街角でもバリアフリーに取り組んでいた
- あらゆる場面で差別に向き合い、インクルーシブな社会の実現を目指していた
3.降幡博亮(DPI日本会議常任委員)
- 葬儀では彼女の親族、友人、国務省での同僚、自立生活運動での仲間からの弔辞があった
- 彼女の国務省での働き、リハビリテーション法改正での座り込み、自立生活運動でのリーダーシップ、次世代の障害者リーダーのエンパワーメントが語られた
- アメリカ大統領からのメッセージもあった
4.工藤登志子(自立生活センターSTEPえどがわ)
- 初めて会った時、ジュディはピア(仲間)として接してくれた
- どのような状況でも運動を続けるという当事者としての生き方、自分の望むことを実現するための意思表示の大切さを教えてくれた
5.パク・チャノ(ソウル自立生活センター)
- 2002年当時は障害者運動への関わりに悩んでいた
- 障害者自身が声を上げて問題を解決する障害者運動の意味と、多くの仲間と力を合わせれば何事も変えられるとジュディから学んだ
6.笠柳大輔(DPI日本会議事務局長補佐)
- 現在のアメリカにも介助者不足、アクセシブルな住居不足、入居拒否といった問題がある
- サービスの地域格差をなくすための財源の増強、長期介助の必要な人が施設に強制収容されないようにするための法律の制定をめざした運動が展開されている
詳細は下記報告をご覧ください。
分科会開催の経緯
2023年3月4日に亡くなったジュディ・ヒューマン。彼女の自伝(和訳『わたしが人間であるために: 障害者の公民権運動を闘った「私たち」の物語』、現代書館)から、リハビリテーション504条改正での座り込みや、CILバークレー所長、世界銀行障害と開発担当初代アドバイザー、米国務省国際障害者の権利特別顧問など、彼女の華々しい活動を知ることができます。
そこまでの闘いや女性リーダーとしての困難など経て、世界のリーダーとして私たちを鼓舞し、今も前に進めと呼びかける彼女の思いと足跡を振り返り、これからの障害者運動に残していくことを目的として、この分科会を開催しました。
分科会で報告・議論したこと
■報告:ジュディが理想としたDPI札幌世界会議 西村正樹(DPI日本会議副議長)
DPI日本会議の西村氏が、2002年のDPI世界会議札幌大会の概要と、その中でのジュディのメッセージを、当時のビデオを用いて紹介しました。
ジュディはメッセージの中で障害者の権利の実現のための条約の制定や、違いが認められる平等な社会の実現のための法整備が必要であることを強く訴えていました。この大会が契機となり、その後の国連障害者権利条約および各国での障害者差別禁止法の制定が進んでいったことが、報告されています。
■対談:世銀での戦い―障害分野のトップとして 盛上真美(全国自立生活センター協議会)、平野みどり (DPI日本会議議長)
ジュディの長年の友人であり、彼女が世界銀行で活動していた時に介助者を務めていた盛上氏を平野氏がインタビューする形式で、国際協力での彼女のリーダーシップや人間性を振り返りました。
対談のなかでは、世界銀行という経済専門家中心の組織の中での女性障害者としての苦労と努力、海外訪問先の街角でのバリアフリーの取り組み、障害種別を超えた現地障害者との交流の試みなど、あらゆる場面で差別に向き合い、インクルーシブな社会の実現を目指す彼女の姿が伝えられました。
■報告:人生を称えた葬儀―Cerebration of Life 降幡博亮(DPI日本会議常任委員)
3月8日に行われたジュディの葬儀は、ユダヤ教の形式にのっとった歌や祈りを交えながら、彼女の人生を称え振り返るものでした。
葬儀では彼女の親族、友人、国務省での同僚、自立生活運動での仲間からの弔辞があり、その中で彼女の国務省での働き、リハビリテーション法改正での座り込み、自立生活運動でのリーダーシップ、次世代の障害者リーダーのエンパワーメントが語られました。
またアメリカ大統領からのメッセージもあり、彼女の残した業績の大きさが感じられました。
■発表:ジュディから学んだこと 工藤登志子(自立生活センターSTEPえどがわ)
2015年にアメリカで初めて会った時、ジュディはピア(仲間)として接してくれたそうです。
そして彼女から、どのような状況でも運動を続けるという当事者としての生き方、自分の望むことを実現するための意思表示の大切さを教えてもらったとのことです。
また誰でも障害者リーダーになれると、工藤氏をエンパワーメントしてくれたとのことでした。
■パク・チャノ(ソウル自立生活センター)
パク氏からは、2002年にジュディに初めて会った時のことを中心に話がありました。
当時、運動への関わり方に悩んでいたパク氏は、障害者自身が声を上げて問題を解決する障害者運動の意味と、多くの仲間と力を合わせれば何事も変えられるとジュディから学んだそうです。そして韓国に戻り自立生活運動を進めて行ったとのことです。
■ジュディから継承されたアメリカの自立生活運動の”今”と”課題“ 笠柳大輔(DPI日本会議事務局長補佐)
現在ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業でアメリカの自立生活センターで研修を受けている笠柳氏から、ジュディの思い出とともに、現在のアメリカの課題と運動の取り組みについて報告がされました。
課題として挙げられたのが、介助者不足、アクセシブルな住居不足、入居拒否といった問題でした。
また、サービスの地域格差をなくすための財源の増強、長期介助の必要な人が施設に強制収容されないようにするための法律の制定をめざした運動が紹介されています。
降幡博亮(DPI日本会議常任委員)
参加者感想
今回私は「ジュディ・ヒューマンの贈り物―孤立、隔離、排除を拒否した生き方をどう継承するか」の登壇者として参加させていただきました。
私自身、障害者運動に関わり始めてまだ10年未満と経歴は浅いですが、それでもジュディ・ヒューマンという偉大な障害者リーダーの存在は活動を始めた当初から耳にすることが多く、ジュディをはじめ多くの障害者リーダーたちが先頭を切って戦ってきたからこそ、今日の私たちの暮らしがあることはよく知っているつもりでした。
講義の中ではジュディの活動が映された記録映像や葬儀の様子等、貴重な資料を見ることができ、改めてジュディのパワフルさや周りの人々を巻き込む力の強さを感じ取ることができました。
その一方で、障害女性であることで経験してきた数多くの困難や、時折見せる繊細さ、誰に対しても変わらぬ優しさ等、ジュディに近しい人々からの証言では偉大なリーダーである前に、他人と何ら変わらない一人の人間であるという親近感も感じました。
私もアメリカを訪問した際のジュディとのエピソードをいくつか紹介させていただきましたが、自分で話しながら私自身もエンパワーメントされていることを実感しました。
自分の為だけでなく全ての障害者の為にと、人生を賭けて運動し続けたジュディの遺志は、私たちが次世代へと引き継いでいきたいです。
工藤登志子(DPI日本会議バリアフリー部会長補佐、自立生活センターSTEPえどがわ)
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