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【ソーシャルインクルージョンの視点に基づく障害者文化芸術PT報告】 3月20日(日)インクルーシブまるごと実現プロジェクト成果報告集会報告(後編)

2022年03月31日 イベント障害者文化芸術

会場の様子

3月20日(日)、(公財)キリン福祉財団助成事業の「インクルーシブまるごと実現プロジェクト」成果報告集会の報告後編になります!

▽報告前編はこちら

鼎談「バリアフリー映画をへぐる-「明日をへぐる」はこうしてできた」

■登壇者:

報告集会の後半は、ドキュメンタリー映画「明日をへぐる」上映と鼎談でした。

▽映画「あすをへぐる」はこちら(外部リンク)

鼎談は明日をへぐる監督の今井さん、音声ガイドを製作された山上さん、コーディネートを大河内直之さんが務められました。

▶「明日をへぐる」誕生秘話

今井監督

まず、映画監督の今井友樹さんより発言がありました。

「元々は、20代前半から日本各地のお祭りや芸能、生活文化、それこそ『明日をへぐる』の舞台になっているような山里の風景などの映像記録を専門にやっています。この映画との出会いは、今から3年前になります。ある地方の方から、『自分を育てれくれた楮が無くなりつつあることを何とかしてほしい』と相談されました。プロデューサーと私と二人で現場を訪ねたんです。

その時に初めて訪ねてみたものが、90代の女性たちが、映画の最後にスティールパンの演奏をしていましたが、あの旧校舎の体育館で「へぐり」をされていました。車座で女性たちが包丁で楮の外皮をはいでいくのですが、聞けば、手作業じゃないとだめなのだということです。

和紙の原料づくりは、見ていただいたようにたくさんの工程があります。原料づくりを経て、手元に届くのですが、前段階は地元の方がずっとやっていたようです。丁寧にそれをやらないと、良質な和紙が出来ないということで皆さん、手を抜かないわけです。僕は普段、それこそ東京で生活をしており、生活しています。インターネットや車など便利にあふれた中で。

その「へぐる」という行為があまりにも不便というか非効率で、なんとか機械化できないかと考えました。でも、その女性たちは、ひた向きにへぐっているわけですが、淡々と行っているわけです。また、女性たちがそこで話していることが面白く、90歳以上の方が幼少のころや自分の祖父母の話をされていて、土地の歴史が展開されてくる。

それらを聞く中で、自分がこれまで豊かだと思っていたことそのものが、本当に豊かさなのかと自問自答するようになりました。へぐりを通して見えてくる世界が、自分の中で醸し出されるようになり、関心がありました。」

へぐり包丁
写真:実際に使われていた「へぐり包丁」を展示しました

へぐった皮の原料の展示+映画の音声ガイド機器としてiPhoneをお貸し出しました
写真:へぐった皮の原料の展示+映画の音声ガイド機器としてiPhoneをお貸し出しました

 

続いて、「明日をへぐる」のバリアフリー版を制作された山上さんからお話がありました。

「今回は、日常的に音声ガイドの制作中心にやっていますが、この作品に関しては初めて配給という立場で関わりました。映画は制作部分と配給の2つに分かれます。制作が、今井監督がされているように1つの作品にする部分。その映画を必ずしも監督が上映するわけではありません。

上映に持っていくのは配給といってお客様に届ける役です。日本映画もたくさんの映画が作られていますが制作、配給の会社は別の会社が別の役割をもって皆さんに映画が届いていきます。

私たちが配給をコロナ禍で始めようということで始めたもの、第1回作品として扱ったのが『明日をへぐる』です。

どうしても私たちは字幕音声ガイドをつくったところまでしか関われません。なかなかバリアフリー版が出来たということになったとしても、配給会社がきちんと宣伝し、情報提供しない限りは、必要な方に届きません。劇場に必要な方が一緒に足を運び、観るところまで至りません。

そこは全部解決できておらず、日々、こういうところがハードルが高いのだな、などということを体感しながら、世の中の配給会社にどうやってもらえばよいかを考えていこうという意志の部分も含めて始めました。今回はバリアフリー映画と配給というところも含めて関わっています。」

これを受けて、大河内さんから発言がありました。

「元々私は東京大学先端科学技術研究センターのバリアフリー分野にいます。そこで映画制作段階からのバリアフリー化を実現したいと、プロデューサーの山上さんが2008年にお見えになったのがきっかけです。

その頃は映画制作者や、役所の人、障害当事者の方や、研究者などがわいわい集まり、ちょっと補助金、助成金もいただいていたので、制作段階からの映画を10本作ろうということでした。

2、3か月に1度集まってはプロジェクトの話をするところから、この制作会ははじまりました。作った映画を上映しながら、映画業界全体に広めようと、東京国際映画祭で必ず1本はバリアフリー版を配信する、ということを目標にやっていました。

それこそpalabraのような会社と協力しながら、リリースすることが出来ました。その中で研究会も、元々なただの自主研究会でしたが、2013年くらいに法人化し、NPOになり、今に至っています。

バリアフリー映画、どうこれを届けるのか、ということでお話がありましたが、さまざまなアプローチが増えています。

まず今井監督に、作っていただいた映画のバリアフリー化する作業に一緒に携わっていただきました。聞いていただいた方はわかるかと思いますが、アナウンサーの笠井信輔さんにも協力いただき、音声の収録を4時間ぐらいかけてやりました。

バリアフリー版を制作することが、へぐるの作業になぞらえると、ある意味効率が悪いこともあるかもしれません。見えない人だけに届けるものではないものとして、音声ガイドや字幕があると僕は思います。」

 

▶バリアフリー版制作で遭遇した壁を打ち破ったもの

続いてバリアフリー制作について、今井監督から以下のように発言がありました。

「今回、『明日をへぐる』を担当するにあたって、作り手としてもっとも困ったのは、出演者の高知の方の方言が、聞こえる人でもなまりが強すぎてわからない。僕も取材に何度も通って、その場の雰囲気は分かったつもりになっていても、何度も編集して聞き直すとどういう意味だろう?と。現地の人に確認するとぜんぜん違う意味だったりした。

課題としてそうしたものがあったが、その中で映画をバリアフリー字幕として公開していくという話になった。同時に提案ももらい、それなら一石二鳥ということで、やりました。大河内さんにも音声ガイド制作に参加してもらいました。

必ず当事者が携わり、同じく制作者として携わって、見直しして意見交換して作る。その場で初めて分からなかったところが分かったりします。

もう少し淡々とした説明だけでなくて、修飾語のようなものを加えたりして、できあがっている。笠井さんと『明日をへぐる』でお会いすることになって、僕はそこで初めて知ったのですが、笠井さんもいろいろ準備してくださっていました。

気持ちを込めて音声ガイドを入れてくださった。しかし、入れすぎると音声ガイド的どうなのかという議論もあり、そのへんを調整してくださった。音声ガイドのあり方は何が正解かなど考えたりして臨んだ思い出があります。」

 

▶印象的だったことや思い出深かったこと

「映画でも1000年という時間軸をナレーションでも語りましたが、丁寧にへぐって、その原料を使って作られたものが、次の世代に残す記録物の補修材料として使われていく。それだけではなく、和紙にかかれたもの自体が大切な記録として後世に伝わる。

それが歴史の証明として、1000年ぐらい前のものが日本に残っているというのがあります。そういった紙は1000年受け継がれる、というだけではなく、100年、200年ごとに裏張りや表張りで修復紙をあてることで残されてきています。

その時代、時代の人が意思を持って残していくという命題のもとで、修復されていく。そういった存在が和紙だと映画の取材で感じていました。歴史を調べると100年前、大正の初期かな。和紙の生産量が現在の1000倍になります。今だいたい20ヘクタールの面積で楮の栽培がされているそうです。それだけ和紙が日常生活にあった。

それが今は洋紙に変わり、紙そのものを利用しなくなった。その中で、映画の中でも紙すきの人が、いつまで続くかわからないという現状の中、作り手と生産者が一緒に繋がるような仕組みができたらいいなとおっしゃっていた。楮に携わることで、今まで知らないことがたくさんあるということに初めて気づきました。」

来場された皆さんには『明日をへぐる』バリアフリー版でご覧いただきましたが、UDcastというアプリケーションで字幕は、焼き付け字幕といって、直接スクリーンに表示してみていただきました。

 

▶今後のバリアフリー映画について

山上さん

今現在、バリアフリー映画が抱える課題や、バリアフリー映画の未来をどう描いていくかについて、山上さんから発言がありました。

「これまでは字幕と音声ガイドをつくるかかわりだったのが、今回、配給をしたことでわかったことがあります。1つは、字幕版をバリアフリー上映ではなく、スタンダードに全部の上映館で上映したことです。すると聴覚障害の人もいつでも字幕上映で観られます。

音声ガイドはアプリを使うことで、いつでも行って、自分のスマートフォンを持ち込まなければなりませんが、機器さえあれば聞ける状況にあります。ここまでが、どの作品でもできることでした。

新たにDPIの皆さんと、何年間かいろいろな文化芸術の鑑賞ごとにかかわる困りごとのヒアリングをして気が付いて、できることからやっていこう、ということですが、1つは私たちが発信していくので、予告編のバリアフリー化をまずやりました。

パンフレット販売時に紙のほかに、購入者の中でスクリーンリーダー使用者については、テキスト版のデータを入れたものを提供もしました。

最初、公開したのはポレポレ東中野でしたが、映画には字幕があるがトークショーにはない、というのがよく聞く話だったので、少しでもやらないとと、私も含めスタッフが毎日、シフトで交代しながら文字のサポートをして、スクリーン上に内容がきちんと表示されるような対応もしました。

映画業界自体がまだまだそういうことが必要と知られていないということが最大の課題です。字幕や音声ガイド、アプリができたといっても、もっと言えば、劇場案内やチケットをとるサイトなどがアクセシビリティ対応されているのかどうか。劇場までのアクセスがどうなっているか。

私たちが1つ1つ訴えていき、変えることも大事ですが、今、障害者差別解消法を考えていくと、むしろ、映画業界側、劇場なのか配給会社なのか分かりませんが、その人たちが自分達の映画を観る相手、観客のことをもうちょっと想像していく。

字幕なしで観られる人は数として多いかもしれないが、届いていない人がいるのではということに想像を巡らせていく。自分の作品をどうしたら相手に届けられるかを自主的に考えていくという事が一番の近道だと思います。」

 

▶モニター検討会の重要性

「先ほど監督からも案内がありましたが、字幕・音声ガイドを制作する際、モニター検討会というのも行っています。他社で音声ガイドを作っているところはやっているにせよ、字幕をやっているところはほぼありません。これは絶対必要だと思っています。

映画の中身を伝える通訳者的立場なので、そこの精度は作品の良さをどう伝えるかの非常に重要な部分だと思います。検討会をやっているとき、今井監督のように、監督やプロデューサーが一緒に参加します。そうすると、バリアフリー版の制作は、劇場公開前のタイミングが多い。監督やプロデューサーも初めて検討会に参加している方々だったりする。それは非常に大事なことだと思います。

目の前で音声ガイドを使って、作品を観てくれている状況を目にするだけで、一気に考え方が変わるというか、自分の作品をこうやって観てもらえるとわかると、だいたい監督は次回作からは全部つけたいと思います、という風に感じてくれる。

今後も自分の作品を観てほしいというのは当然あることだと思います。そういった意識の転換をすることを、映画を作る側が持つことが大事だと思います。それも含め、モニター検討会が効果的に働いていると日々感じています。

映画の未来という意味で言うと、それが当たり前になってほしい。翻訳字幕が付かないと国内で洋画が公開されないということと同様に、映画の完成=音声ガイドなどがついたものが出来上がる、というところまでもっていかないといけないと思っています。」

写真:会場に展示した下林慶史常任委員(文化芸術担当)の新作絵画「我、名もなき創造」。毎年この集会のために新作を書きおろしてくれて、ファンも多いです。

 

▶会場からの質疑応答

会場から「音声ガイドや字幕を制作するうえで、今後、制作側がどんどん増えるなか、どのように新しい人材を育成されているのか聞きたいです。」という質問がありました。

この質問には、山上さんが回答されました。

「字幕や音声ガイドを作るのは、どういう能力が必要かということですが、圧倒的に必要なのは映画を読み込む力。文字の校正や音声の質は、プロがいくらでもいます。そういう人たちと分業もできるとは思います。代わりがいない部分は原稿をつくる人間、字幕・音声ガイドにしても、その人たちに本当に必要なのは映画を読み込む力です。

もう1つは、当事者性をもつこと。自分達の作っているものがきちんと伝わっているかということ。私もそうですし、会社スタッフもですが、福祉関係からの人は一人もいません。映画館で働いていたスタッフとか、スクリプターと言って映画を撮影するときに記録をする役割があるが、それ出身とか、配給していた人とか、映画関係の人間が多いです。

それはすごく分かりやすいと思っていて、この作業は映画好きにはたまらない仕事です。何十回も同じ作品を見返して、それに対してどうやったら、文字と音声で伝わるか想像しながら作業します。

映画を何回も見るたびに毎回、違う発見、気づきがある。制作者以前に個人として見えてくる、その作業は映画好きにはたまらないと思っているので、その意味では、映画を好きな人たちからどんどん仲間を増やしていくことが、いいんじゃないかなと思っています。

育成自体は、本当にセンスも必要ですが、もちろんワークショップなど通して訓練していくとできるようになると思います。

一方、監督が映画の関係者自身が作っていく時代もきているのかなと思います。職人さんしかできません、ではなくもう少し開けたかたちで、歴史が浅いので、まだまだ進化していく余地があると思っています。」

大河内さんからも回答がありました。

「バリアフリーという取り組み、特に障害当事者でもあるので、障害者側の福祉的な要素を踏まえてバリアフリーというのをずっと考えてきましたし、今もあると思います。

例えば映画と出会った際に、他分野の人と連携することで、新しい支援の在り方やニーズの在り方が見えてくるんですよね。

要するに目が見えない人に本を届ける場合、専門の点訳というところがあります。これが当たり前の時代でしたが、映画という全然違った分野で、音声ガイドや字幕をつくろうという中、形は違うけれども支援の形が変革しているのだと思います。

文化芸術分野で、福祉分野では意見対立があって止まなかった関係性が、スムーズにお互いにすみわけが出来、一緒に活動できるというのが実はあります。

そういうなかなかまだ人材育成は難しいにしても、映画が好きだとか、別の分野が好きを出発点に、障害、という変な意味で隔離するのではなく、開いて横のつながりを持って取り組むことで、新しいものも触媒として生まれるのだと思います。

もちろん、福祉分野の人にもバリアフリー映画に携わってもらいたいと思いますが、映画業界の人がもっと携わることも大事なことのように思います。」

 

▶次回作は「つちのこ」!?

ツチノコイメージ

今井監督の次回作は「つちのこ」のドキュメンタリー映画。日本各地にある伝承としてつちのこの目撃談を含め、取材をしています。単純につちのこがいるのかどうか、という話に終始するのではなく、「見た」という人が実際にいる、見たと思う人の気持ちがある。それから、「つちのこなんていない」という冷めた人も圧倒的に多い。そちらのほうに注目したいと思っているそうです。

取材すると、かつては妖怪や不可解な、自然の中で生きている中ではよくわからない存在がつちのこ以外にたくさんあります。狐に騙された、とか、河童など、そういったいろいろなものに置き換えられていく存在としてのつちのこがあります。

それを見ていくと、人と自然とのかかわりの変容が見えると思います。

今井監督からは「つちのこがたくさんいたという時代、沢山見たという時代には、人と自然の関わり合いが密接であり、自然というのは単純に我々がいきていくために必要な野菜や食べ物をもたらすだけでなく、自然災害のようなものも含めて、いろいろなそういうものから切り離され、遠い存在となる中でつちのこの存在がゆるキャラ化されたりする。つちのこを見るだけで、人のいろいろな変遷がみえて面白いと思います。」と発言がありました。

次回作に寄せて山上さんから発言がありました。

「いわゆる劇映画のような言われて想像がつく映像、スタンダードな映画と比べて、架空のものや、いろんな人がいろいろ想像をしているようなものは、バリアフリー化するのはすごく面白そう。映画の中でどんな音が入っていて、どんな映像があるかによると思いますが、そこの表現の幅はすごく広いでしょうし、それこそ字幕・音声ガイドの制作者が勝手には作れず、監督から言葉を拾い出して作らないとできないものだろうと思います。個人的にすごく楽しみにしています。」

 

▶ものの見方が変わったバリアフリー映画との出会い

今井監督から以下のような発言がありました。

「バリアフリー映画に出会えたことで2018年にモノづくりの見方が変わりました。映画を通して得られる幅も広がり、今まで見てきた自分の世界が狭いことに気づかされた出会いでもありました。これを機に、自分事だけでなく、映画業界全体がもっとオープンになると良いと思います。」

最後のまとめとして、大河内さんが発言しました。

「バリアフリー映画とはもともと鑑賞する人とディスクライバーが字幕・音声ガイドを付けていましたが、制作者が関わって、監督やプロデューサーの意見を戦わせながら作ることでそこが発揮される映画になる。逆に見えにくい、聞こえにくいものに、どう挑戦していくか、音声ガイドの字幕の意味になると思います」

集会を終えて

インクルーシブまるごと実現プロジェクト」は、バリアフリー映画や子どもの放課後など、これまでDPIではあまり取り組んでこなかった新しいジャンルの事業で、はじめは手探り状態でした。

そういった中、こども時代のほうではアクセプションズの古市さん、障害児の親御さんと繋がり、文化芸術では大河内直之さんや山上庄子さんとも繋がりが生まれました。DPIとしても幅が広がった4年間だったと思います。

DPIでも実際にイベントをやってみると、アクセシビリティの問題や差別の問題、それから情報保障ということだけではなく、トイレに行きやすくしたり、マットを敷いたり、個別のスペースを作ったり、なるべくいろいろな人が一緒に参加できる場を追求していった会でもありました。

これはまだ完成形の形ではないわけで、もっと改善できる点もあると思います。イベントのときだけでなく、色んな通常の場面でもそういったことが合理的配慮や環境整備として、やっていけるとよいのではと感じました。

4年間に渡るプロジェクトへのご支援をくださったキリン福祉財団のみなさまに、改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。

報告:鷺原由佳(事務局)


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