優生熊本裁判 原告の渡邊數美さんの追悼集会が行われました。7月17日(水)が高裁判決日です。
2024年05月21日 権利擁護
写真:2023年1月に開催された、「優生保護法被害の全面解決を求める熊本集会」の様子。中央で車いすを使用している男性が渡邊數美さん
旧優生保護法裁判の熊本の原告のお一人、渡邊數美さん(79)が2024年2月1日(木)に亡くなられました。優生保護法被害者とともに歩む熊本の会は、3月31日(日)に、渡邊數美さんの追悼集会を開催いたしまた。会場の他、オンラインでも全国から、総勢90名の方にご参加いただきました。
優生連事務局からも松本多仁子さんや福岡の石原さんが熊本にお越しくださいました。また、東京の原告である北三郎さんもオンラインで追悼メッセージを述べられました。北さんは、オンラインで交流されていた渡邊さんの急逝を心から悼み、裁判の完全勝訴を誓われました。北さん手製の折り鶴を、松本さんが持参され、お供えしました。北海道から山﨑恵さんも熱いメッセージを寄せてくださいました。
また、仕事の関係でオンラインでの参加を余儀なくされた熊本裁判の弁護団の徳田靖之弁護士は、ご自分とほぼ同じ年の渡邊さんに対し、「弁護人としてだけでなく、同年代を生きてきた仲間のよう気持ちでいた」と、大変お辛い気持ちを吐露される中、お二人の人生や運命の違いに、胸が苦しくなりました。
集会後は、熊本市内の繁華街で街頭署名活動を行いました。延期された福岡高裁での判決が必ず勝訴となるよう、強い思いを新たにしながら、道行く人たちに訴えました。
平野みどり(DPI議長・優生保護法被害者とともに歩む熊本の会)
2月10日(土)に、渡邊數美さんと連絡がつかなかったため、弁護団の方がご自宅を訪問した際、倒れているところを発見されたそうです。転倒した際に頭を打たれ、そのまま亡くなられたようです。
渡邊さんは2018年6月28日から顔と名前を公表し、国を相手に裁判を始めました。「私の人生を返してほしい」、「国は過ちを認めて謝ってほしい」と報告会で話されていました。
裁判当初は杖で歩かれていたのが、年を追うごとに歩くのが辛くなり車いすになり、裁判所に来ることも体力的に大変そうな様子でした。裁判所で渡邊さんに挨拶に伺うと、いつも笑顔で「お忙しいのに来てくれてありがとう。本当に心強いです」と答えていただきました。
直前の裁判後の報告会ではいつも「自分が生きた意味を残したい。障害があろうがなかろうが、誰だって平等でいい社会のはずなんです」と強い思いを話されていました。
2023年1月23日(火)、地方裁判所では初となる原告の勝訴となり、渡邊さんもとても喜んでおられました。「敗訴したら応援してくれた皆さんに申し訳ないから」と責任を感じられていたそうです。何も申し訳ないことはないのですが、とても周りに気を遣われ、自分に厳しい方でした。
国が控訴した時にはとても残念そうにされていましたが、福岡高裁で結審した際には、ほぼ勝訴で間違いない流れで結審となったため、あとは2024年3月13日(水)で勝訴判決を聞くだけでした。
裁判の報告会では「自分もあまり長くないから、早く裁判に決着がついてほしい」とたびたび語られていましたが、なんとなく福岡高裁での勝訴判決は、一緒にお聞きすることができるものだと思っていました。渡邊さんは過去に2回、自分には子どもが出来ないということを理由に交際していた女性との結婚を諦めておられました。
もし手術を受けていなくて家族を持つ機会があれば、ご自宅で転倒していても誰かが発見できたかもしれません。また、睾丸を摘出されたことでホルモンバランスが崩れ、体に異常が出ておられました。それが無ければもっと体の状態もよかったのではないか等、亡くなる瞬間まで渡邊さんは旧優生保護法に苦しめられてしまったのだと思います。
今後の裁判は、渡邊さんの甥御さんが引き継がれるそうです。そのため、2024年3月13日(水)の判決は延期となり、2024年7月17日(水)が福岡高裁の判決となります。渡邊數美さんの思いを継いで、もう一人の原告である川中ミキさん(仮名)と天国の渡邊數美さんを、引き続き応援していきたいと思います。
植田洋平(熊本障害フォーラム(KDF)事務局)
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