障害のある人もない人も同じように暮らせる社会へ

DPIstory

私たちDPI日本会議はこうして社会を変えてきました

1981年の国際障害者年にシンガポールで世界DPIが誕生し、その後1986年にDPI日本会議が発足しました。DPI日本会議は日本各地の障害者の声を受け止め、集約し、国や行政に直接政策提言や意見する旗振り役であるという自負のもと、30年以上障害者運動のトップランナーとして走ってきました。

駅にエレベーター。これも運動の成果!

私たち障害当事者を取り巻く環境は少しずつですが改善の兆しを見せています。例えば、今から30年前の1990年に、日本の鉄道駅にはどれくらいエレベーターがついていたと思いますか? 答えはなんと0台! しかしながら2020年現在、●●台(駅全体の●●%)ものエレベーターが、日本には設置されています。エレベーターが設置されたことで、車いす使用者はもちろん、高齢者やベビーカーを使う人、重いスーツケースを持った人などにとっても、役立っていますよね。

DPIが動いたからこそ実現した法改正!

1984年に発覚した宇都宮病院事件(職員の暴行で精神科に入院患者が亡くなった事件)で明るみに出た日本の精神科医療の劣悪な環境や精神障害者に対する偏見は、現在も劇的に改善されたとはいえませんが、世界DPIのメンバーが1985年に日本のこの闇の部分に深いメスを入れたことで、1987年の精神保健法への改正へ繋がったのです。

障害者の権利を守るために行動!

国は2003年に支援費制度を設け、福祉サービスの仕組みが「措置から契約へ」と転換されましたが、その後2005年に障害者自立支援法という法律を制定してしまいました。この法律によって利用者である障害当事者にもっとも身近な市町村にサービス提供の一元的な提供責任を定め、利用者の負担を「応能負担」から「応益負担」としてしまいました。生きるための種々のサービスを「益」として当事者に負担を強いる悪法だとして、障害者自立支援法にはDPI日本会議はじめ多くの団体が抗議しました。2006年10月を皮切りに、日比谷野外音楽堂での大規模なデモ行動を展開しました。

障害者権利条約誕生!

条約の策定に際してはDPI日本会議からもメンバーを何度もニューヨークに派遣しました。真に当事者の声を反映させた「Nothing about us , without us!」(私たち抜きに私たちのことを決めないで)の理念が実り、ついに2006年に発効し、日本は2008年に署名をしました。しかし2009年のこと。日本政府が突然、日本国内法が未整備にもかかわらず批准を強行しようとしたのです。拙速な批准は権利条約を形骸化させると危惧したDPI日本会議はJDFの他団体との協力のもと、批准を阻止しました。権利条約の掲げる「他の者との平等」を決して絵に描いた餅にしてはならないという強い危機感をもって、行動を起こしたのです。

悲願だった障害者差別解消法!

2013年、私たち障害当事者の悲願だった障害者差別解消法が成立しました。2016年4月の施行を受け、全国各地でお祝いのパレードを行いました。

しかしながら2016年7月、社会を震撼させた「津久井やまゆり園障害者殺傷事件」が起きてしまいます。犯人の犯行動機は優生思想や障害者差別によるものとされています。この社会にまだまだ障害者に対する差別が根深く残っている現実が、私たちに強く突き付けられました。

インクルーシブ社会の実現のために…

私たちの運動によって着実な進歩を遂げた部分にしっかりと自信を持ち、一方で差別や偏見が深く残っている現実から決して目を逸らさず、私たちDPI日本会議はこれからも日本の障害者運動の「われら自身の声」を旗印に運動を展開してまいります。皆さんの応援・ご支援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。


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