また せんきょに 行きたい


成年後見 選挙権回復京都訴訟 提訴1周年 支援集会の報告
成年後見 選挙権を考える会・近畿 事務局長 山本正志
 障害のある人が成年後見のうち後見類型を利用すると、選挙権が剥奪(はくだつ)されることが問題になっています。そもそも成年後見制度は人権擁護が目的です。その制度が基本的人権を奪うのは、根本的に矛盾しています。
 そこで2011年に全国4か所の地方裁判所(東京、さいたま、京都、札幌)で、選挙権を返してほしいと、裁判が起こされました。ここでは京都の裁判の様子を報告しながら、障害を欠格とする考えがまだ生きている現状を考えます。

京都訴訟
 京都地裁では2011年6月に提訴され、8月に第1回公判、以後2〜4か月に1回のペース続いています。

 当事者は、昭和29年生まれの男性です。他の3地裁の後見人は親族ですが、京都訴訟の後見人は弁護士です。後見の申請が行われたのは、法改正になる前の禁治産制度の時でした。その弁護士が提出した意見陳述書の一部に、男性のことが述べられています。

 「私は、被後見人 ○○ の両親から ○○ 君の将来を案じて後見人となることを依頼されました。両親はすでに他界してしまいましたが、両親は ○○ 君が両親の死後に一人暮らしとなることをとても心配しておられ、そうした将来への不安を払拭するために後見人を選任したのです。

 ところが、公職選挙法は、本人の投票能力の有無を考慮することなく、一律に被後見人から選挙権を奪う制度となっているため、○○ 君は後見開始とともに選挙権を剥奪されてしまいました。

 ○○ 君は後見が開始するまでは繰り返し投票に出かけ選挙権を行使してきました。しかも、○○ 君は両親や第三者から指導を受けたりすることなく、自分で新聞を読み、自らの判断で投票していたのです。にもかかわらず、両親の将来への不安の解消と ○○ 君の権利擁護等を願って後見を開始したことが、そうした ○○ 君から投票権を奪うことになってしまったことは、後見人を務めることになった私にとってもとても忍びがたい結果となってしまいました。私は、○○ 君の生活の維持と権利擁護のために後見人に選任されたはずなのに、日本国憲法の下でもっとも重要な原理である国民主権の発動としての選挙権を奪うことになったことに到底割り切れない思いです。」

 男性はとても政治意識や仲間意識の高い方で、第1回公判の本人意見陳述で、「私はテレビのニュースを見たり、新聞を読むことが好きで、政治に興味があるので、政治の記事をしっかり読んでいます。(中略)もし私が選挙に行くことができたら、障がい者のためになるようなことをしてくれる人を、選びたいと思います。特に、若い人たちは

 日本のためにがんばってくれそうなので、若い人に投票しようと思います。ですから私に選挙権を返してください。」と訴えました。

 公判は回を追うごとに傍聴人が増え、第3回公判からは、京都地裁で一番大きな法廷になりましたが、それでもほぼ満席です。近畿各地の手をつなぐ育成会から多くの人が駆けつけています。またこの問題に関心を寄せる施設関係者や、学者、精神保健福祉士、司法書士など関連専門家も傍聴を続けています。


6月24日 支援集会
 この問題は裁判に訴える前に、国会が公職選挙法を改正すれば済む話です。そこで2011年11月には、国会院内集会が持たれました。

 京都ではこの問題への支援の輪を、横に広げることを目的の一つに、提訴1周年支援集会をするにしました。

 関係する諸団体に協力をお願いしたところ、近畿手をつなぐ育成会連絡協議会が共催者になってくださり、全日本手をつなぐ育成会、京都市社会福祉協議会、障害者欠格条項をなくす会を初めとして、近畿の地方レベルですがリーガルサポート、社会福祉士会、精神保健福祉士会、きょうされん、成年後見支援センター、知的障害児者生活サポート協会等、京滋の都道府県組織が快く後援を承諾してくだり、また実際に集会にも足を運んでくださいました。

 集会ではまず本人が登壇し、多くの参加者に自分の思いを訴えました。また本人の生活やインタビューを収録したDVD(約10分)を上演して、理解を広げました。

 その後、早稲田大大学院戸波江二教授の講演に続き、成年後見をしたいが選挙権剥奪が気にかかって申請に踏み切れない保護者と、法人後見を受けている側の精神保健福祉士が、この制度の使いにくさを、当事者として述べました。

 最後に、裁判を支援するため傍聴に育成会会員や関連職種の人を誘うこと、同時に法律を早く改正してもらうために国や政治家に働きかけることを確認して、集会を締めくくりました。


選挙できる能力?
 まず言えることは、この京都訴訟の原告には自分で判断し、選挙をする能力があります。ところが、選挙とは何の関係もない後見類型利用ということを理由にして、公職選挙法で選挙権を奪うことは極めて不当です。これは障害を理由にした、法による差別といえます。
 では、より重度で本人の判断をなかなか確認しづらい人なら、選挙権剥奪を正当化できるのでしょうか。
 国は裁判に提出した書面で、「選挙権の行使に必要な最低限度の能力を欠く者」「公務員としてふさわしいと考える者を選ぶことができるだけの判断能力を欠く者」といった表現を繰り返し、選挙権剥奪を正当化します。
 しかし歴史的な事実としては、「選挙できる能力」とは、実に恣意的な基準であったのです。
 日本でも昭和20(1945)年まで、女は政治的な判断をする能力がないからと、選挙権がありませんでした。また男の中でも、一定額以上の納税をしていない人は、政治的な判断をする力がないとされ、選挙権が剥奪されていました。
 つまり、裕福な男子(地主の戸主)だけで政治を回していたのです。それらの中で利権を配分する政治が行なわれます。
 そうした制限選挙を、普通選挙に押し広げていくことが、民主社会を作る過程だったと言えます。
 アメリカでも’60年代まで、選挙人登録には読み書き能力テストがありました。確かに選挙には一定の読み書き能力が要りそうですが、実際にはそのテストは人種差別を正当化するために機能していたと言います。つまり人種差別により教育を受ける機会に恵まれず、英語の読み書きが十分にできない黒人を排除して、白人に有利な選挙結果を導く口実に、「選挙できる能力」が利用されていたのです。
 「選挙できる能力」とは、明確で客観的な一線があるわけではありません。特定の人たちにいいように、操作されるものです。
 基本的人権というのは、全ての人が生まれた時から当たり前に持っている権利で、選挙権もその一つです。持っている権利を行使できないこと(いわゆる選挙の棄権)もありますが、そのことと権利そのものを国が奪ってしまうことは、全然違います。基本的人権を奪うということは、この社会から人として排除していることです。そんなことを見過ごしてはいけないと思います。
 選挙権はすべての成人に認めると、棄権は一定程度あります。棄権がある程度あることを織り込んで、できるだけ民意を反映できるような選挙制度を考えることが大事です。
 また選挙違反(不正投票の指示)をする人を、厳しく罰することが大事です。
 集会で上演したDVDは、「成年後見制度 選挙権を考える会」のHPより購入していただけます。各地の総会や学習会でご活用ください。
(NPO法人コミュニケーション・アシスト・ネットワーク代表、言語聴覚士)

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DVD 「また せんきょに 行きたい」 500円(送料込み)
成年後見制度選挙権を考える会ウェブサイト(トップページ)
http://www7b.biglobe.ne.jp/~seinenkoukensenkyoken0201/


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初出 「障害者欠格条項をなくす会ニュースレター」54号 2012年7月発行
DVD「また せんきょに 行きたい」 提訴一周年支援集会 2012年6月24日
京都市中京区 ハートピア京都にて
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