エッセイ どんなふうにやってきたの−合理的配慮をもとめる現場から


その7
全盲の精神科医として、臨床の現場から考える
大里晃弘(おおさと・あきひろ)

1.はじめに

 私は現在55歳の全盲。茨城県日立市にある精神科病院に勤務する精神科医である。今から約30年前に東京都内の大学医学部を卒業した。当時、在学中から眼の疾患によって視力が低下し、視覚障害者となった。当時の私の問題としては、文字の読み書きに支障を来たし始めていたために勉強をどのように進めるか、もう一点は実習がこなせるかどうかということだった。同級生や大学教官の協力を得ながら実習を何とか乗り切り、また同級生の朗読を受けたりボランティアのサービスを利用して勉強した。どうにか卒業まではこぎつけたが、欠格条項の問題から医師への道は断念した。その後、視力も低下して全盲になった。社会人となってからは、一般就労を試みて医学とは無関係の仕事をしている時期、また盲学校で鍼灸マッサージの資格を取ってその仕事をしていた時期もあった。
 やがて、ご存知のように、21世紀が近づく頃に63項目の欠格条項の見直しが始まり、2001年には医師法改正により欠格事由が緩和されて「目が見えない者、耳のきこえない者」等が相対的欠格事由に変わった。それに基づき、厚労省は国家試験や免許について具体的な検討を開始、2002年には「特例受験」の受験要項が発表された。私も紆余曲折はあったものの、特例受験を点字と音訳(朗読)で受験し、3回目で漸く合格にこぎつけた。2005年3月のことである。(視覚障害者の特例受験では、すでにその1回目の受験で2003年4月に守田稔氏が合格されており、私は二人目だった。)
 合格後、医師免許を取得するまで更に半年かかるのだが、この辺の経緯は、かつてこのニュースレターでも紹介されたので、今回は省略させていただき、私が臨床に関わり始めた頃から記述を続けたい。

2.臨床研修という制度

 新しい臨床研修制度が2004年度からスタートした。これは障害者の話ではなく、国家試験の合格者すべてに義務として課せられている制度で、現時点でも継続している。2年間を研修期間とし、7科目の臨床現場を回るスーパーローテーションとも呼ばれている。研修先の病院は全国の指定病院を選択でき、国試以前に「マッチング方式」で決めておくのがほとんどである。以前は、医学部を出ると、国試に合格して免許を取れば、大学の医局に入り、大学病院や関連病院で研修をするのがほとんどだった。それが今は最初からこのマッチングで大都市の総合病院を選ぶ人が多くなり、大学の医局の若手医師が極端に減り、この制度が国内全体での医師の「かたより」を進め、医師不足の一因になったとも言われている。
 さて、この臨床研修制度と私との関わりである。私がこの制度を受けることができるのかどうか、国試を受験し始めた頃から厚労省に何度か電話をかけて相談した。また、私の友人達が、「支える会」という団体を作り、私の研修問題について取り組んでくれた。厚労省にも話し合いに出かけてくれた。
 その中で出た結論が、
(1)私には新しい制度で研修を受けるのは困難であり、例外的に旧制度で研修を受けることとする。(旧制度とは、希望する臨床科目について研修を受け、その期間や内容は任意であること)
(2)研修先の病院は私が見つけること
であった。
 私は2005年3月末に国試に合格したが、その時点では臨床研修については白紙だった。自分で研修先を探せという指示だったが、なかなか見つからない。自分の友人に頼んでも難しかった。時間が無為に過ぎていく中で、大学時代の知人から話があり、筑波大学附属病院の精神科で研修を受けることになった。精神科医局に所属することになる。2005年12月のことである。

3.研修が始まって

 研修を受けるに当たって、どんなサポートが必要なのか、精神科医局と話し合った。一般に、視覚障害者にとっての問題は、文字の読み書きと移動(歩行)である。また一般就労に際しては、ヒューマン・アシスタントが制度化しており、そうした流れを説明しながら話し合い、今回の研修ではアシスタントがつくことになった。大学病院は私も全く知らない環境であることから、当分は移動の面を中心に対応してもらうことになった。
 研修は12月の1ヶ月間はフルに出たが、2006年1月からは大学と平行して、関連病院で仕事をするように指示され、週に3日間の研修と3日間の病院勤務という日程に変更になる。この時の非常勤の仕事が現在の勤務先であった。
 大学での研修は精神科の外来が中心であり、また緩和ケアの研修も受けた。私の将来への選択肢として検討されたからだ。研修が始まってから6ヶ月、再び大学での研修の見直しとなり、これを機に関連病院での勤務を常勤に変更した。
 大学での研修を早めに切り上げた理由はいくつかあるが、電子カルテを自分が使えないこと、また正式な研修医ではないために診療行為の制限があったことである。大学医局と話し合い、2006年6月から、診療行為に制限のない関連病院に自分の中心を移すことになった。

4.現在の仕事

 常勤となった関連病院は、日立市内にある。精神科単科の民間病院である。私の仕事として、入院病棟と外来の二つを担当している。勤務は週に五日、そのうち外来は週に二日と半日出ており、それ以外の時間帯に病棟の仕事をしている。
 外来にしても病棟にしても、仕事としては患者さんの診察が中心である。
 精神科の診察は「傾聴」が重視される。相手の訴えに耳を傾けること、相手の精神状態や症状を受け止めること。私は診察において相手の精神症状を把握することにつとめ、今後の治療計画を立てたり修正する。検査の指示を出し、処方薬を調整する。
 外来では、色々な疾患を診ているが、新患の場合、うつ病が最も多いだろうか。次に不安障害や統合失調症が続く。そうした疾患の診断を間違わないように注意を払い、処方を考える。
 病棟の方は、今は女子の閉鎖病棟(40人前後)を担当している。診察は、急性期の人、不安定であったり落ち着かない人を優先的に診ることになり、治療を考えて指示する。入院患者は圧倒的に統合失調症の患者さんで占められている。
 目が見えない私の診察法で心がけていることは、
(1)相手の声と言葉に集中すること…声の調子やスピード、力強さ、明暗などに注意して、前回とどう変化しているか比較する。また言葉の使い方とあわせて、思考や感情の変化を把握する。
(2)触診を多くする…脈をとること、手の震顫(しんせん)の有無、肩から背中への緊張の確認をする。

5.現在の問題点

 日々の臨床で自分なりに工夫したとしても、自分のできないことが多くあるのを感じる。実際に、診察でできないこと、書類の処理が間に合わないことが多い。具体的に列挙すると次のようになるだろうか。
(1)診察時の視覚情報をどう補うか…一般に精神科の診察は、患者さんの観察から始まる。入室してからイスに座るまで、目でその表情や歩き方、体の動かし方などを観察する。服装や清潔度、女性なら化粧なども含めて判断材料になる。また同席する家族、時には市役所の職員や警察関係者が同席することがある。私には患者さんの観察が全くできないので、外来でも病棟でもナースから情報をもらうようにしている。その情報の質と量が診察の成否に大きく関わってくる。そして、ナースによって個人的な差が出てくるのが現実である。
(2)診察時に話をしない患者さん…不安が強い場合には呼吸も苦しくなり声を出すことができない。幻覚妄想状態など精神症状のために話をしなくなったり、拒絶することもある。何も言わずに四つんばいで動き回っているだけということも。こうした患者さんの場合、私は自分の感覚で把握できる症状が皆無になってしまう。
(3)画像診断…精神科でも、レントゲン検査やCTをはじめ、画像診断が結構多い。これは同僚のドクターに頼んで診断してもらうしかない。
(4)文書の作成…パソコンでカルテや情報提供書を書いているが、自分で入力しているだけでは、追いつかない。診察の場面で音声の出るパソコンを入力していると自分の集中が患者さんから離れてしまったり、患者さんの印象にも良くないようだ。だから、メモは点字ディスプレイ装置(ブレイルメモ)でとっている。次の患者さんを入れるまでの短い時間や診察全体が終わってからパソコンに入力している。書類の種類は多く、診断書や意見書は医僚事務の職員と一緒に作ることで効率を上げることにしている。自分でパソコン入力する方が圧倒的に能率が悪いからだ。
(5)「読み」の問題…過去のカルテや書類を調べることが多く、ナースに読んでもらうことが多い。また文献や図書類を読んだり調べるために、テキスト・ファイルのデータ入力をボランティアに頼んでいる。雑誌類はとても量が多く、今後どう解決していくか。

6.これからの課題

 合理的配慮の面では、現在の職場はかなりの程度満足している。現状では仕事量が多過ぎ、特に書類の面で積み残しを多く抱えている。これを解決するために、外来スタッフと話し合って、少しずつ処理の流れを変えている。問題はたくさんあるが、それを解決しようとする意志や努力が私にも職場にもあるので、見通しは悪くない。
 これからの課題として、二点だけ取りあげて、本稿のまとめとしたい。
(1) 文献のテキスト化について…前項でも触れたように、文献を自分が利用できる形にすること、それを使って調べたり勉強することが求められている。以前は知り合いのボランティアに頼んでテキスト・ファイルを作ってもらった。今でもこれを有効に利用している。しかしこうした作業は個人のレベルにとどまっていては限界が来てしまう。なるべく早急に、社会化したいと考えていた。今から2年前、2008年6月に、視覚障害をもつ医療従事者の会(ゆいまーる)を立ち上げた。国試合格後に知り合った人達、またドクターになってから中途失明した人もいた。仕事を続けていくために必要な条件を考えて共有する。その一例が文献のテキスト化であった。そのゆいまーるの会でもまだ十分にはテキストの社会化が実現しているわけではないが、団体として医学書院と話し合いを持ったり、データの提供をお願いしたりするなど、一定の成果が出ている。今後は、こうしたデータを必要とする人達が共有できるように、ゆいまーるの会の活動を持っていきたい。
(2) 臨床研修制度…現行の臨床研修制度を全盲者が受けられるかどうか、受ける意義があるのかどうか、議論が分かれるところである。とにかく私は厚労省の指示もあり旧制度の研修を受けただけである。私と同年に国試を合格して臨床研修を受けたドクターが周りにいるが、自分と比べても、内科や外科の経験や技術の面でかなり差がある。精神科の臨床の現場では、内科や外科などの身体合併症が問題になることが多く、その点では自分のレベルの低さを痛感している。これは、目が見えないことで来る臨床能力の問題だけでなく、研修を十分に受けられなかったためである。また臨床研修でなかったために、私が在籍した筑波大学での診療行為の権利制限を受けた。合理的配慮以前の問題である。さらに、私が現行制度を受けなかった故に将来的に生ずるハンディもある。
 以上の二つの課題が私にとって最も大きなものであるが、今後これを解決するために、社会的なアプローチが必要であろう。

以上


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