エッセイ どんなふうにやってきたの−合理的配慮をもとめる現場から


その1
駆け出し全盲弁護士奮闘記
大胡田 誠(おおごだ・まこと)
(弁護士)
 「この訴状の書き方は何だ!お前はそれでも弁護士か!」
 一気に私の緊張はマックスへ。後ろの席では私のサポートを担当してくれている事務員の篠原さんも息を呑んでいる。また今日も先輩弁護士からしかられてしまった・・・。胃の辺りがどーんと重くなる。
 しかし、「またやってしまった」と落ち込んでいる心のもう半分では、なんだかちょっとうれしいような気持ちを感じていたりもする。それは、先輩が、視覚障害者であるとかないとかではなくて、一人の弁護士としての仕事の質の良し悪しで私を評価してくれているのを感じるからである。弁護士の仕事は依頼者の人生を左右するようなものばかりであるため、当然ながら、私も健常者の弁護士と同じ質の仕事を求められるのである。

 私は、一昨年の司法試験に合格した後、約1年の司法修習を終え、昨年12月から弁護士業務を始めた1年生弁護士だ。一言で弁護士といってもそれぞれ得意分野ごとにある程度棲み分けが行われているが、私が現在勤務している法律事務所(注1)は弁護士会が設立した公設の法律事務所であるため、一般市民の法的トラブルが仕事の中心である。この事務所は、日本司法支援センター(通称法テラス)と協力して、経済的な理由から高額の弁護士費用を支払うことができない方々にもリーガルサービスを提供すること、仕事量のわりにお金にならなそうで、一般的な法律事務所では受任しないような事件の最後の受け皿になることなどを目的に設立された事務所であり、私の仕事も、おのずと、多重債務を抱えた方の債務整理や、離婚、相続などの家事事件、刑事事件の国選弁護などが多くなっている。

 全盲で弁護士になった視覚障害者はこれまでに私も含めて3人いるが、私の場合、弁護士の仕事をどのようにこなしているのかを、先日行った恐喝未遂事件の国選弁護人の仕事を例にとって少し具体的に書いてみることにする。
 その事件というのは、ある男が、帰宅途中の電車の中で、網棚の上に鞄が置き忘れられているのを偶然に見つけ、その中に入っていた個人情報を使って鞄の持ち主に恐喝文言の記載されたメールを送りつけたという事件である。私は、裁判所からその男の国選弁護人に選任され、以下のような弁護活動を行った。
 国選弁護人に選任されると、まず検察庁に出向いてその事件の捜査記録を閲覧・謄写する必要がある。捜査記録はその事件について警察や検察が集めた証拠に関する資料であるが、活字や図表、写真等が中心となるため、私が独力で内容を読むことはできない。そこで、私は事務所の職員と一緒に検察庁の閲覧室に行き、その場で活字の捜査記録を読み上げてもらい、必要なものを謄写して事務所に持ち帰る。事務所に戻ると、PCに接続されたスキャナで謄写してきたコピーを読み取り、活字認識ソフトを使って活字を電子データに返還する。そして、出来上がった電子データを画面読み上げソフトで読み上げさせその事件の証拠を検討する。このように、IT機器等を駆使すれば私もかなりのところまで活字情報にアクセスできるが、活字認識ソフトはしばしば誤認識をするし、写真や図表はPCで読み上げさせることができないので、データの修正や写真の説明などの部分では、事務所の職員のサポートが不可欠である。
 捜査記録の検討が終わると、次は警察署の留置場に収監されている被告人への接見である。私は接見に赴く際にも事務所の職員に同行してもらうことにしている。これは、被告人がゼスチュアなどで事件の様子を再現した場合、私にはそれを見ることができないし、場合によっては、接見室の仕切りガラス越しに書類を見せながら打ち合わせを行う必要があることもあるからである。
 その事件の被告人は事実を認めて反省しているため、被害者と示談を進め、被告人の父親に情状証人として裁判に出廷してもらって被告人の更生のための環境が整っていることを裁判官にアピールするという弁護方針で臨むことにした。
 そして、被害者とはなんとか被告人が30万円を支払うことで示談ができ、被告人の父親との打ち合わせも済ませて裁判当日を迎える。
 被告人のお父さんの証人尋問、被告人への質問とこなし、弁護人の一番の大仕事、最終弁論になる。ここで、私は、手元の点字のメモを読みながら、今回の犯行の経緯、被告人の反省が真摯であることなどを述べ、最後に「執行猶予付きの判決を求める次第です」と結ぶ。
 判決は1週間後に言い渡された。判決の主文は、懲役2年6月、執行猶予3年。心の中で「やった、執行猶予付きだ」とガッツポーズをする。その場で被告人は釈放され、「ありがとうございました」と握手を求められる。それまでは接見室の仕切りガラス越しでしか話せなかった彼の温かい体温を感じる。まさに弁護士冥利に尽きる瞬間である。

 ここまで書いてきたように、私は、PCの画面読み上げソフトやスキャナ、点字プリンタなどのIT機器を使い、事務所の職員のサポートを受けて弁護士としての仕事を行っているわけであるが、これらの機器類の購入に際しては、事務所で半額を負担してもらい、また、事務所で私専属の事務員を1人雇ってくれている。公設事務所という性格上、収入的にたいして儲かっているはずはないのだが、私のために最大限の援助をしてくれていると感じる。実にありがたいことである。

 ところで、今もまだ日々文字通りの手探り状態の若葉マークの弁護士であるが、ここまで来る道程もけっして平坦なものではなかった。私が弁護士を目指してから司法試験に合格するまでのことを少し書いてみたいと思う。
 私が初めて司法試験を受験したのは22歳、大学4年生のころであった。しかし、それから4年連続で1次のマークシート式の試験であえなく敗退。大学同期の友人が社会人としてバリバリ働いているのを横目に毎日自宅の机に向かって受験勉強をする灰色の時期が続いた。その後、慶應義塾大学の法科大学院に入学し、また2年間の学生生活に戻った。法科大学院の授業は、予習復習を自分で行っていることを前提として行われるため、授業以外の時間にボランティアや友人の助けを借りて教科書や参考資料をPCのスキャナで取り込み、明け方までかかってそれを読み込むような毎日だった。
 そして、一昨年、5度目の司法試験挑戦でなんとか合格。弁護士を目指して勉強を始めてからおよそ10年目のことである。

 ここで、司法試験における視覚障害者への配慮についても少し書いておくことにする。
 私が受験した2006年の試験では、試験時間の延長(マークシート式の1次試験は2倍、論述式の2次試験は1.5倍)、一般受験者とは別の部屋での受験、点字と電子データでの出題、自分のPCを使った電子データでの答案作成が認められた。司法試験は4日間をかけて試験が行われるため、一般の試験時間もかなり長いが、それを延長するわけであるから、視覚障害者の場合は、4日間で36時間半という過酷な耐久レースになる。近年では司法試験の合格者数も増やされ、従来より合格しやすい試験になったことは間違いないが、準備のために必要な時間の長さ、問題の質と量、求められる精神力と体力などを総合すれば、司法試験は、今もって日本でも指折りの難関試験の一つであると言うことができると思う。しかし、去年も中途失明で全盲になった視覚障害者が1人合格し、これまでの竹下弁護士、渡部弁護士、私に続いて数ヵ月後には4人目の視覚障害を持つ弁護士(注2)が誕生する。欧米では法律専門職に就く障害者もそれほど珍しいものではないと聞くが、これから日本もそのような社会になっていくのかもしれない。

 少し話は変わるが、先日読んだ本の中で、村上春樹が、「人生は基本的に不公平なものである。それは間違いのないところだ。しかし、たとえ不公平な場所にあっても、そこにある種の『公正さ』を希求することは可能であると思う。それには時間と手間がかかるかも知れない。あるいは、時間と手間をかけただけ無駄だったね、ということになるかもしれない。そのような『公正さ』に、あえて希求するだけの価値があるかどうかを決めるのは、もちろん個人の裁量である。」と書いているのを見つけた。
 私もこれには同感だ。視覚障害を持ちつつ弁護士をやっていると、膨大な活字の書面や資料を前にしたときなど、ああ自由にこれらを読めればなどともどかしい思いをすることもあるし、図表や写真が読めなくて深刻な不便を感じることもある。しかし、たまに、事件処理が終わった後など、依頼者から、「今回、先生のようにがんばっていらっしゃる方にお会いできて本当によかったです」などと言っていただくことがある。そんなときには、「そうですか、そう言っていただけると私もうれしいですよ。」などとクールに決めてはみるが、後で、「私の障害もまんざら捨てたものではないな」と、一人でにやにやしちゃうのである。私はこれからも、人生は不公平だと嘆くよりは、自分のできる限りのことをして、自分なりの「公正さ」を求め続けたいと思っている。
 そして、いつか、この文章の冒頭に登場した先輩弁護士に、一度くらいは「お前、それでこそ弁護士だ」と言わせたいと思っている。
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(1)渋谷シビック法律事務所
  東京都渋谷区渋谷3−10−13 渋谷Rサンケイビル8階
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(2)全盲の状態で弁護士になった人のほかにも、弱視の状態で弁護士になった人、弁護士になって以降に視覚障害をもった人をふくめて、視覚障害がある弁護士が活躍している。

初出 「障害者欠格条項をなくす会ニュースレター」42号 2008年6月発行


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